いよいよ新紙幣の発行 お札の歴史や肖像画に選ばれた偉人の功績を知っていますか? 静岡とのつながりも!
近代日本医学の父・北里柴三郎って?
一方、師弟での“バトンタッチ”を行うのが1000円札だ。 これまで描かれていた細菌学者の野口英世は、今回新たにデザインされた北里柴三郎が所長を務めた伝染病研究所の研究員であり、野口がアメリカに留学する際は北里が便宜を図っている。 その北里は1853年、現在の熊本県小国町で代々庄屋の家系に生まれ、ドイツ留学中に破傷風菌予防・治療する方法を確立して世界的な研究者として名声を博したほか、ペスト菌を発見するなど「近代日本医学の父」と言われる。 静岡とも縁が深く、1913年には伊東市の温泉街を流れる川の河畔に約3000坪の別荘を構えた。 一番の自慢は20メートル×10メートル、畳にすると100帖分もある日本初の室内温水プールで、一般の人にも広く開放され、地元の人からは「北里さんの千人風呂」と親しまれたという。 また、道路や橋の建設にも力を尽くすなど、市の発展にも貢献した。 すでに別荘は取り壊され、跡地は幼稚園となっているが、この幼稚園には北里が別荘の敷地内に飾っていたという陶器製のシーサーがあり、2024年8月に北里の生まれ故郷にある北里柴三郎記念館に“里帰り”する予定となっている。 ちなみに、北里は“5代目”の1000円札で、“4代目”が前出の通り野口英世、“3代目”が明治時代の文豪・夏目漱石、“2代目”が歴代最多の4回にわたって内閣総理大臣を務めた伊藤博文、そして“初代”が聖徳太子だ。
こんな時もあった!お札の歴史
こうして見てみると1万円札、5000円札、1000円札はすべて“初代”の肖像が聖徳太子であることがわかり、1万円札の発行が始まった1958年12月1日から“初代”1000円札の発行が停止された1965年1月4日まで(“2代目”1000円札は1年あまり前の1963年11月1日に発行開始)の6年あまりは、3種類いずれの紙幣にも同じ肖像が描かれていた。 ただ、この時代には500円札と100円札も発行されていて、当時の肖像は500円札が日本の近代化に貢献した岩倉具視、100円札が自由民権運動を展開し、演説中に刺客に襲われ「吾死すとも自由は死せん」との言葉を残してこの世を去った板垣退助だった。 他にも、日本ではかつて“だるま宰相”と呼ばれた高橋是清をデザインした50円札や国会議事堂が描かれた10円札、さらに5円札や1円札も発行されていて、日本銀行によればこれらは発行停止となった現在も「有効な銀行券」として扱われているという。 さて、そんな紙幣を製造しているのが全国に6つの工場を持つ国立印刷局で、その1つが静岡市駿河区にある静岡工場だ。 その静岡工場ではリニューアル工事にともない工場見学を休止していたものの、7月4日からの再開(事前予約制)が決まっている。 ※参考・出典:渋沢栄一記念財団HP・埼玉県深谷市HP・津田塾大学HP・北里研究所HP・日本銀行HP
テレビ静岡