【連載 泣き笑いどすこい劇場】第21回「人」その2
6場所のうち、ここだけは善玉になれるんですよ
「長い棒と短い棒、支え合ったら人になる」。 そんなCMがありました。 土俵が沸くのは、ただ勝ち負けの競り合いだけでなく、人と人、人間と人間のさまざまな感情が交錯し、思惑が絡み、この勝負の裏のなんとも言えない人間臭さが見ている者を魅了するからです。 相撲の醍醐味、おもしろさと言っていいでしょう。 人と言ってもいろいろ。人間臭さもいろいろ。 これは「人」という文字にこだわったエピソードです。 ※月刊『相撲』平成22年11月号から連載された「泣き笑いどすこい劇場」を一部編集。毎週火曜日に公開します。 負けても笑い飛ばす把瑠都 ダジャレ名人 1場所は15日間もの長丁場。負けたからといって、いつまでも引きずっていては決していい結果は生まれない。反省は必要だが、いかに素早く断ち切って次の勝負に備えるか。気持ちの切り替えも大切だ。 平成13(2001)名古屋場所8日目、西前頭11枚目の大善(現富士ケ根親方)は十文字に寄り切られた。5日目から4連敗だった。 「どこが悪いんだろう」 と支度部屋で肩を落とす大善に、取り囲んだ報道陣からこんなアドバイスが飛んだ。 「関取、詰めが甘いんじゃない」 すると、大善は大きな目を剥き、こう答えた。 「エッ、ツメが甘い? じゃあ明日から爪に塩を塗ってこよう」 翌日、ホントに爪に塩を塗ってきたのかどうか、分からないが、大善は朝乃若(現若松親方)の引きに乗じて押し出し、連敗地獄から脱出した。このとき、大善は幕内最年長の36歳。このくらいのベテランでなければ、なかなか咄嗟にこういう味のある発想や返しはできない。翌年の春場所にも、ユーモアたっぷりにこんなことを話している。 「6場所のうち、ここだけは善玉になれるんですよ。だから大善、というワケじゃないんですけど」 ちなみに大善の実家は春場所の会場の大阪府立体育会館の近くの花屋で、初土俵も、新十両も、新三役も、引退も、すべて春場所だった。 こんなふうに、支度部屋でトンチを利かして切り返したり、ダジャレを飛ばす切り替え名人は日本人力士ばかりではない。平成20年秋場所8日目、小結把瑠都は大関千代大海(現九重親方)の強烈な突っ張りからの強烈な引き落としに屈し、6敗目を喫した。激戦を物語るように把瑠都の右脇腹には真っ赤な千代大海の手形はついていた。風呂で土俵の砂と一緒に悔しさも洗い流した把瑠都は、こう言って報道陣の笑いを誘った。 「あと10センチ、腕が長かったら廻しが取れていたな。207センチぐらいの身長が欲しいよ。これ、見てよ(と右脇腹を指さして)、明日、大関にサインしてもらわなくっちゃ」 もちろん、ジョークだ。この苦い負けを喫した直後でも笑いを忘れない心の余裕がこのあとの奇跡的な踏ん張りにつながった。1日置いた10日目から6連勝して8勝7敗と見事に勝ち越し、次の九州場所で、関脇に昇進したのだ。初土俵から27場所の新関脇は、白鵬の24場所につぐ当時史上9位のスピード出世だった。 月刊『相撲』平成24年7月号掲載
相撲編集部