【前編】【永久保存版】 名局と振り返る日本将棋連盟100年の歩み 日本将棋連盟創立100年
※前編では、NO.18(第18問)までを掲載しています。NO.19(第19問)以降をお読みになりたい方は、中編、後編をご購入ください ■はしがき 日本将棋連盟は9月8日に創立100周年を迎える。 1924年に「東京将棋倶楽部」「将棋同盟社」「東京将棋研究会」が合併し、現在の日本棋連盟の前身である東京将棋連盟が結成された。日本将棋連盟はその年を創立年とし、今日まで将棋の普及、発展に力を注いできた。 「将棋の普及発展と技術向上を図り、我が国の文化の向上、伝承に資するとともに、将棋を通じて諸外国との交流親善を図り、もって伝統文化の向上発展に寄与すること」が日本将棋連盟の設立目的となっている。 本付録では、日本将棋連盟結成まで、歴史的名局で振り返る次の一手、年表の3部構成で、この100年を振り返っていく。100年の間には数多くの名局、熱局、歴史的価値の高い勝負が行われた。わずか53問ではとても紹介しきれるものではないが、特に有名な対局や、歴史の転換点となるような将棋を集めた。 数々の大棋士、名棋士、名勝負を堪能してほしい。 将棋世界編集部【編集協力】野間俊克 ※本文中の段位は将棋世界本誌掲載当時のもの ◆歴代名人(実力制以降、太字は永世名人) 木村義雄(1~5、8~10期)、塚田正夫(6、7期) 大山康晴(11~15、18~30期)、升田幸三(16、17期) 中原誠(31~39、43~45、48~50期)、加藤一二三(40期) 谷川浩司(41、42、46、47、55期)、米長邦雄(51期) 羽生善治(52~54、61、66~68、72、73期)、佐藤康光(56、57期) 丸山忠久(58、59期)、森内俊之(60、62~65、69~71期) 佐藤天彦(74~76期)、豊島将之(77期)、渡辺明(78~80期) 藤井聡太(81期)継続中 ◆歴代竜王(太字は永世竜王) 島朗(1期)、羽生善治(2、5、7、8、14、15、30期) 谷川浩司(3、4、9、10期)、佐藤康光(6期)、藤井猛(11~13期) 森内俊之(16、26期)、渡辺明(17~25、28、29期)、糸谷哲郎(27期) 広瀬章人(31期)、豊島将之(32、33期)、藤井聡太(34~36期)継続中 ◆永世称号 永世王位 大山康晴、中原誠、羽生善治 名誉王座 中原誠、羽生善治 永世棋王 羽生善治、渡辺明 永世王将 大山康晴、羽生善治 永世棋聖 大山康晴、中原誠、米長邦雄、羽生善治、佐藤康光、藤井聡太 名誉NHK杯 羽生善治 永世十段 大山康晴、中原誠 永世九段 塚田正夫 クイーン清麗 福間香奈 永世女王 西山朋佳 クイーン王座 福間香奈 クイーン名人 中井広恵、清水市代、福間香奈 クイーン王位 清水市代、福間香奈 クイーン王将 林葉直子、清水市代、福間香奈 クイーン倉敷藤花 清水市代、福間香奈 ◆写真 表紙:中野英伴、中野伴水 本文:『写真でつづる将棋昭和史』『将棋世界』『週刊将棋』 『将棋年鑑』『将棋マガジン』、中野英伴、弦巻勝 ■江戸、明治、大正時代の将棋界から日本将棋連盟結成まで 初代将軍の徳川家康が江戸幕府を開き、そこから260年あまりの長い間、江戸時代が続く。 家康は将棋の達人に家禄を与え、将棋は幕府公認の家元となる。そして代々その家柄を守り、技量を門下生らに伝えていく。これがプロ制度の始まりだ。まず、一世名人の初代大橋宗が大橋家を任される。宗桂の亡きあと、子息の宗古が跡を継ぎ二世名人を襲名。そして、宗古の弟宗与が大橋分家となる。また、宗古の娘婿、後に三世名人となる初代伊藤看が伊藤家を興し、この三家の中から優れた者が名人を継いでいった。 十七世紀の末頃、将軍の御前で公務として指されるようになったのが「御城将棋」。八代将軍吉宗の1716(享保元)年から年に一度、旧暦の11月17日に御城将棋として将軍らが観戦する中、対局を披露するようになった。これが由来となり、日本将棋連盟は11月17日を将棋の日に制定している。 この時代には優秀な人材があふれていた。中でも有名なのは七世名人の三代伊藤宗看。「鬼宗看」の異名があり抜群の強さを誇る。御城将棋の記録が残っているし棋譜も伝わり、いまの目で見てもなるほどと思わせるものがあった。三代宗看を語るうえで外すことができないのは図式集と呼ばれた詰将棋だ。当時、名人は詰将棋問題を幕府に献上するしきたりがあった。三代宗看の「将棋無双」は別名、詰むや詰まざるやとも呼ばれた100題。非常に難度が高く、ありとあらゆる技法がちりばめられた神局とされている。 三代宗看の弟、伊藤看寿もすばらしい功績を残した。献上図式「将棋図巧」100題は「将棋無双」にまさるとも劣らない出来栄え。この二つの図式集は現在でも光り輝く逸品である。看寿も、もちろん実力を兼ね備えており、その腕前は言うに及ばない。看寿は宗看のあと次期名人に就く予定だったが、早世してしまったのは残念だ(後に贈名人となる)。 歴代の徳川将軍で、最も将棋を好んだのは十代将軍家治。家治は100局ほどの棋譜を残し、七段を許されている。もっともこれはかなり持ち上げられた部分が多く、アマ高段者レベルだろう。図式集もまとめていて、「御撰象棊将棋攷格」の詰将棋100題は好作ぞろいだ。 九世名人で大橋分家の六代宗英は「近代将棋の祖」と呼ばれ、江戸時代最強の棋士と言われる。数多く定跡集などの書物を残したことでも有名だ。宗英の遺志を継いだのが大橋柳雪で、「近代将棋の開拓者」と呼ばれた。柳雪は二代目宗英を襲名して大橋分家の跡継ぎを任されるはずだったが、どういうわけか廃嫡され大橋家から出てしまう。しかし好きな将棋をやめたわけではなく、その後も数多くの棋譜を残し活躍した。柳雪を師匠と仰いだのが天野宗歩。実力十三段、棋聖と呼ばれた宗歩が「近代将棋の父」だ。名人、そして家元の棋士、在野の強豪が活躍した将棋界も、変革のときを迎えることになる。徳川幕府の崩壊、明治維新となり、状況は一変した。
本文:14,624文字
購入後に全文お読みいただけます。
すでに購入済みの方はログインしてください。