「ボランティアは被災地に迷惑をかけないのが鉄則」 舘ひろしが石原プロから受け継いだ魂と「焼きそば」
ロケでお世話になった恩返しに
2月21日から4日間、俳優の舘ひろし(73)が能登半島地震で被害を受けた石川県輪島市の避難所などを訪れ、ボランティアの炊き出しを行った。 【写真を見る】きれいに宙を舞う焼きそば 「舘ひろし」の豪快な“ヘラさばき” ***
昨年11月から2カ月間、映画のロケで輪島を中心に、能登半島に滞在していた舘。 その際、地元のお世話になったことから、なんとか恩返しをしたいと考え、今回の炊き出しを企画したという。 「元気食堂」と銘打った会場では、焼きそばのほかに、4日間でハヤシライス、おでん、ぜんざいなど計2000食が振る舞われた。
焼きそば作りのコツを語ってくれた
両手に持ったヘラを振り上げ、宙を舞う焼きそば。 「水分が飛んでおいしくなるんだよ」 と焼き方のコツを語るのは舘ひろし当人だ。 石原プロモーション時代には、1995年の阪神・淡路大震災、2011年の東日本大震災、2016年の熊本地震と、大災害が起これば“石原軍団”の一員として被災地での炊き出しを実施してきた。 石原プロ解散後、舘プロを立ち上げてから初となる今回の炊き出しでも、その石原軍団で培ったノウハウを生かし、準備からわずか2週間で“開店”にこぎ着けたというから驚きだ。
総勢60人の“舘軍団”
舘プロ・浅井武士社長(48)は炊き出し企画についてこう話す。 「ボランティアは被災地に迷惑をかけないのが鉄則だと、計画段階で舘から教わりました。だから、調理や寝泊まりのため、輪島から約80km離れた富山県氷見市にベース基地を置き、毎日、3時間ちかく掛けて輪島に通うことにしたのです。スタッフの寝泊まりは旅館の大広間で雑魚寝。食材や調理機材、水、燃料はもちろん、今回は自分たちが使うトイレも、あらかじめ用意していきました」 その量は、2トントラック2台、軽トラック1台、ワンボックスカー3台分にも上る。 舘と交流のある笹野高史(75)や現地の有志ボランティアを含め、総勢60人の“舘軍団”による炊き出しとなった。
看板の文字は渡哲也によるもの
初日の焼きそば作りで腕が上がらなくなったという舘は、 「元気をつけにきたのに、ありがとうと言われ、かえって元気をもらいました。僕らが来られるのは一瞬だけど、少しでも皆さんに元気を届けられたら幸いです」 と語っていた。 看板の「元気食堂」の文字は、渡哲也によって書かれたものだという。 石原軍団の神髄は、脈々と受け継がれているようだ。
撮影・本田武士 「週刊新潮」2024年3月7日号 掲載
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