高齢者専門の精神科医が説く「今、がまんすれば歳をとって楽できる」の信憑性
私たちは社会の規範や常識に適応するために、「偽りの自分」を演じて生きていることがあります。しかし歳を重ねて「後悔のない人生」を歩みたいと思った時、どのような生き方をしたら良いのでしょうか。精神科医の和田秀樹さんによる書籍『本当の人生』(PHP研究所)より、「今を楽しんで生きる」重要性について紹介します。 【図】不安の度合いを3つに分類 ※本稿は、和田秀樹著『本当の人生』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
「今がまんする」のではなく、「今を楽しむ」
人間というのは、産まれてきたときは、「本当の自己」、本当の自分として産まれてくるわけですが、そのうちに社会に適応していくためにさまざまな教育を受けたり、しつけを受けたりするうちに、「偽りの自己」が身に付いてくるものです。 もちろん、人によって社会への適応の仕方は違うでしょうし、受ける教育も異なるでしょうが、ある文化をもった社会では、その社会特有のルールや慣習に従うことができるように家庭でしつけというものを受け、おおむね社会の「常識」を身に付けることになります。 この「常識」は通常、本能的な欲望と一致しないので、「常識」が身に付くということは、「偽りの自己」として生きていくことができるということにもなります。 この中で重要なものに「がまん」というものがあります。ほしいものがあるからといって、勝手に持っていってはいけないとか、腹が立って殴ってやりたくても殴ってはいけないとか、好きな人がいても勝手に抱きついてはいけないとか、身体をさわってはいけないとか、さまざまながまんを子どもは身に付けていきます。 もちろん、本稿で、いくら本当の自分に戻ろうと提言しているからといって、この手のがまんを一切やめてしまうと、場合によっては法に触れるし、その結果刑務所に入ることにもなり得ます。法に触れなくても、一定のがまんができなければ、社会生活はできません。ただ、そうでないようながまんはなるべくしなくていいというのが私の真意です。 さて、しつけに際して、がまんをさせるときに、子どもには、今がまんすると後でいいことがあることを学習させます。 スタンフォード大学で行われたマシュマロ実験というものがあります。4歳の子どもを座らせて、マシュマロが一個のっている皿を目の前に置きます。 「このマシュマロをあなたにあげるよ。私は15分間、出かけるけど、戻ってくるまで食べるのをがまんしていたら、マシュマロをもう1つあげる。私がいない間にそれを食べたら2つ目はなしだよ」と言って実験者は出ていきます。 この実験に参加した子どもが大学受験をした際に、アメリカの大学進学適性試験(SAT)の点数で、がまんできた子と食べてしまった子では、トータル・スコアで平均210点(800点満点です)も差があったということです。 がまんできた子のほうが上です。この実験の結果、IQより自制心の強さのほうが将来の学業の成功に影響するという結論が出されました。その後の追跡調査でもこの傾向がずっと続くこともわかりました。 つまり、小さい子ども時代に、今がまんすれば、後でいいことがあるということが体得できた子は、一生涯にわたって優等生、優秀な社員でいられるということです。 さて、精神医学の世界では、依存症というのは、人間ががまんできるようにプログラムされてきた脳のソフトが破壊される病気だと考える人がいます。 今度、また手を出せば実刑になるのに、また覚せい剤に手を出してしまう。二度とやらないと約束して、家族や会社に金を借り、その返済を許してもらったのに、またギャンブルに手を出してしまう。職場でアルコールを隠れ飲みしてしまう。職場で仕事中にスマホをちら見してしまう。こういう状態が依存症です。 これらはすべて、がまんできなくなった状態、と精神医学では理解されます。これは意志が弱いのでなくて、脳のソフトが書き換えられたからで、きちんとした治療を受けないと意志の力では治らない、と考えられているのです。 逆に、そのような病的状態でなければ、意志の力でがまんできるのが当たり前というのが、日本に限らず世界中で適用されている考え方です。教育やしつけの大事な側面は、人間にがまんを覚えさせることでもあるのです。 実際、今がまんすれば後でいいことがあるというのは、いろいろな場面で適用されます。今、遊びたいのをがまんして勉強していれば、大人になってからいい思いができるので、学生時代は勉強しなさいというのは、常套句のようなものです。 そして、日本の企業で終身雇用・年功序列が当たり前だった時代は、若い頃、安い給料でものすごく働かされても、「今、がまんすれば、歳をとってから楽ができるから」と言われた人も多いでしょう。 これに関しては、終身雇用や年功序列の制度が否定されるとものの見事に、当時の上の人に言われたことは反故にされたわけですが、それでも、今がまんすれば後でいいことがあると信じている日本人は多いようです。 あるいは、健康診断で血圧や血糖値が高いと、塩分やお酒や甘いものを控えるように医師に指導されるわけですが、「今、がまんしていれば、歳をとってから健康でいられる」などと言われた人も少なくないでしょう。 人目を気にしてしまうということとともに、がまんが美徳であるとか、がまんしていると後でいいことがあるという信念は、本当の人生を生きるうえで、大きな阻害要因になると私は考えています。そこから脱却して、「今を生きる」「今を楽しむ」ということが本稿のテーマです。