鋳物師の郷、伝えたい あす真生寺が涅槃図公開 三重・松阪
江戸時代に栄え、寄贈と判明 当時は神宮の擬宝珠など鋳造
三重県松阪市上蛸路町の大倉山真生寺(青木啓助住職、檀家約100軒)は3日午後1時から、290年近く前から伝わる涅槃図(ねはんず)を初めて一般公開する。毎年1回、檀家らだけに披露してきたが、同町で江戸時代を中心に活躍した鋳物師(いもじ)たちが寄進したものと分かり「鋳物師の郷(さと)として栄えた地域の歴史を伝えたい」と広く見てもらうことにした。同3時ごろまでの予定。 同地域は往年、「鋳物師の郷」と呼ばれるほど鋳物作りが盛んだった。神宮内宮の宇治橋の欄干には「嘉永6(1853)年 御鋳物師 蛸路住 常保河内(じょうほかわち)作」と記された擬宝珠(ぎぼうし)16基と、別宮・風日祈宮(かざひのみのみや)にも同様の8基が残る。かつて常保河内の名が付いた工場もあり、郷土資料によると皇大神宮の御用を務め、津藩の命で津市の贄崎砲台の大砲、京都の知恩院の梵鐘(ぼんしょう)なども鋳造した。 涅槃図(長さ2.4メートル、幅1.55メートル)は毎年1回、 檀家らが集まる千部会(せんぶえ)だけで披露していた。裏に書き付けがあったが解読できる人がおらず、詳細は分からなかった。ところが2年ほど前、射和郷土史研究会の調べで由来などが明らかになった。 涅槃図では満月の下で横たわる釈迦(しゃか)と、周りに菩薩(ぼさつ)や弟子、動物たちが集まっている。8本描かれたサラソウジュの木は枯れたものと、緑が生い茂るものなど色鮮やかな状態で保存されている。 また、同寺の境内には本堂が再建された1705(宝永2)年に鋳物師・大川右衛門が寄進した鬼瓦を使って昨年整備した地域の歴史を記した記念碑もある。 同寺総代の三井征一さん(78)=上蛸路町=は「皆さんのお力で蛸路のことが明らかになっていくのをうれしく思います。鋳物師らが寄進した鬼瓦や涅槃図を見に来ていただけたら」と話している。