青い作業服の松浦千博さんの説明を聞きながら、牛が胃の中の食べ物を口に戻す様子に見入る子どもたち＝宮崎県新富町・松浦牧場

　まだ日差しが厳しい秋の日、カフェに立ち寄りソフトクリームをほおばった。「うちの牧場の牛乳で作ったんです」。店主の女性によれば、しかもその牧場で搾乳やバター作りも体験できるという。宮崎県新富町の松浦牧場を訪ねると、牛の優しい鳴き声が響いていた。　（神屋由紀子） 【写真】真剣なまなざしで初めての乳搾りに挑戦する男の子 　「牛は繊細で突然大きな声を出すとびっくりするから普段通りの声で話してください」と牧場主の松浦千博さん（38）。町内に航空自衛隊新田原基地があり、時に飛行音がとどろく。 　「あの音には慣れちゃっているんですけどね」 　牧場は父親の博俊さん（73）と経営。ホルスタイン約140頭を飼育する。 　子牛用の牛舎には15頭がいた。「生まれて30分ほどで立ち上がって動き回ります。手をそっと近づけてみてください」。生後3週間の牛に恐る恐る手を差し出してみた。指先のにおいを嗅いで安心したのか、私の指を口に含んでペロペロとなめた。温かい。成長すると、舌は紙やすりのようにざらざらになるそうだが、子牛はまだ滑らかだった。 　子牛は1日にミルク6リットルを飲んで育つ。14カ月たつと人工授精で妊娠し、人間と同じ10カ月で出産。体重約30キロで生まれた子牛も、この頃には700キロほどに太るという。 　牛舎では牛がのんびり草をはんだり、まどろんだり。「牛には胃が四つあり、中に微生物がたくさんいます。食べた物を胃から口に戻しながら反すうして消化します」 　牛が出すふんは回収して牧場内で堆肥にする。堆肥は他の農家にも分け、自分の家の田畑にまいて牧草やコメを作る。近隣の耕作放棄地も堆肥を入れて畑に戻したりしているという。 　「堆肥で育った栄養価の高い牧草を与えて健康な牛を育てる。この命の循環を知ってほしい」 　感染症予防に神経を使いつつ消費者を受け入れるのもそうした理由からだ。 　　　　◆◇◇◇◇◇◆ 　牧場は1970年に博俊さんが創業。これまで順風満帆だったわけではない。 　2010年4月、宮崎県で家畜伝染病「口蹄疫（こうていえき）」が発生した。この牧場は感染を免れていたが、全75頭の殺処分を余儀なくされた。千博さんはこの年の6月、6年間留学していた米国から帰国。目にしたのはがらんとした牛舎だった。 　「子どもの頃から牛にエサをやり、お乳を絞り、ずっと牛と一緒に生活してきたから寂しかった」 　設備の老朽化もあり、牧場を続けるのか廃業するのか家族で話し合った。千博さんは「消費者と顔の見える関係を築く牧場にしたい」と後継者となった。 　頭に浮かべていたのは、留学中に働いた牧場だった。乳牛60頭ほどを飼う小規模経営でチーズやアイスクリームも作って販売。地元のワイナリーと組んでイベントを仕掛けたり、子どもたちを牧場に招いたりして地域に開かれていた。 　それまで「一頭の牛からどれだけ牛乳が搾れるのかを考えるのが酪農」と思っていた千博さんも「自分たちから消費者に近づくやり方もある」と、目指す牧場の姿が定まった。 　　　　◆◇◇◇◇◇◆ 　見慣れぬ私たちを牛が大きな潤んだ目でじっと見つめている。「牛も緊張するのでね」と千博さんが牛の体をなで始めた。次は乳搾りに挑戦。親指と人さし指で乳首の根本を挟んで順番に指を折ると、お乳がチューッと出てきた。 　家族と訪れていた宮崎市の小学1年の日高蒼一朗さん（6つ）は絞ったお乳を手で触り「あったかーい」と目を輝かせた。 　さらに牛乳を生クリームとかき混ぜて無塩バターを作ったり、市販品と飲み比べたりもできた。 　「牛が寝そべり口をモグモグして反すうする姿を見ると、こちらも幸せな気持ちになるんですよ」と千博さんが目を細めた。モグモグモグモグ、モグモグモグモグ…。ゆったりした気分でいただく牛乳は、とびきりのおいしさだった。 　　◇　　◇ 　松浦牧場の体験プログラム（有料）は10月から翌年5月まで行い、1日1組限定。牧場直営のカフェ「松浦牧場のみるくハウス」は松浦千博さんの妻ちひろさん（31）がソフトクリームなどを提供。いずれも問い合わせは080（4613）9304。 　牧場体験プログラムを用意している牧場は九州各県にある。生産者団体「中央酪農会議」が「酪農教育ファーム」と銘打って酪農家や牧場を認定。九州地区の認定牧場は28。事務局は九州生乳販売農業協同組合連合会＝092（432）6021。