【ドラフト家庭の事情】ソフトB4位 宇野真仁朗 名門・桐蔭学園で元阪神関川と副主将を務めた父、早実近くに2人で暮らして支えた母
早大に進学しないという選択
「真仁朗は小、中と塾に行ったことはありません。本当に学校の授業のみ。確かに試験前は寝ないで勉強してましたけど(笑)。評定はオール4はあったかな……」 自宅は千葉・浦安市。早実の校舎は東京・国分寺市、グラウンドは同・八王子市にある。寮がないため、入学と同時にグラウンドの近くに部屋を借りた。 「竜一朗が早実に行った時もグラウンドの近くに部屋を借りましたが、下に真仁朗がいたため、妻は浦安と東京の家を行ったり来たりしていました。だから、真仁朗の時は完全にサポートしようと、3年夏の引退の時まで2人暮らしをしていました」 入部してからは夜遅くにヘトヘトで帰ってくる宇野を博子さんがそばで支えた。浦安市内に4LDKの一軒家を持つ誠一さんは、しばらく1人暮らしになった。 順風満帆な野球人生を送ってきた宇野だが、主将だった早実3年時に危機に直面した。2年秋は都大会4強、3年春は同4回戦敗退。勝ち切れないことやバッテリーを中心に2年生のレギュラーが多く、12人の3年生部員がひとつになれていないことで「これじゃ勝てない」と悩んだそうだ。そんな中、宇野は、誠一さんの知人であるメンタルコーチからミーティングを提案された。3年生が徹底して議論することでチームが一丸となったという。 進路は当初、早大進学を考えていたが、「夏の甲子園に出られたこと、U18の日本代表に選ばれたことで気持ちが変わったようです」とプロ入りに変更。同級生が早大へほぼ100%進学する環境にいながら、誠一さんは高卒でのプロ入りを反対しなかったのか。 「『大学からプロへは行けるけど、いきなりプロへ行ったら、早大で野球はできないよ』とか『大学で勉強をしながら社会性を学んだり、大学の野球部の仲間は一生ものだよ』とか言ってみましたが、まったく響きませんでした(笑)。早実からプロ入りした野村大樹さん(現・西武)にも相談したようです。18歳はもう成人ですから、『最後は自分で決めなさい』と言いました」 覚悟を決めたサラブレッドが、層の厚いソフトバンクの内野陣に風穴をあける。 ▽宇野真仁朗(うの・しんじろう) 2006年7月5日生まれ、千葉県浦安市出身。日の出小4年時に浦安ベイマリーンズで野球を始め、小6時の18年にはU12日本代表としてアジア選手権3位。ベストナインに選ばれた。日の出中では市川シニアに所属。早実では1年春からベンチ入りし、主将も務めた3年夏に甲子園出場。高校通算64本塁打。50メートル走6秒1。好きな選手はヤクルトの山田哲人。178センチ、82キロ。右投げ右打ち。