「登場人物が全員欠損している」 ドラマ「燕は戻ってこない」が“えげつない”のに深いワケ
ただ、リキが貧しくて教養がないことを蔑むのではなく、努力しないで甘えて、育ちのせいにしていることへの非難なのだ。そして「どうしようもない人間に私たちはすがっている」と自分たちのことも蔑む。完璧だったメソッド人生がメソッドなき人間によって支えられることになり、千味子のプライドが揺さぶられる。 一方、悠子は「お金にものを言わせて貧しい女性を蹂躙しているだけ」と自分たちのしていることを恥じる。要するに、売るほうも買うほうもどっちもどっちなのである。なにしろ、いまのところ、生まれてくる子どもにもやがて意思が芽生えることを、このドラマの登場人物は誰ひとり考えていない。
基と千味子は最初からバレエダンサーに育てることを決めつけて、その子が自分の出生の秘密をどう感じるのか、本当の母が誰か知る権利はないのか、等々……さまざまな問題に誰ひとり想いを馳せることがない。 リキのように、貧しいがために、本来望まない代理母という生き方を選択せざるを得ない者たちも、このように顧みられなかった子どもたちの末路なのではないだろうか。 ■根底には社会への厳しいまなざしがある やがて子どものことに想いを馳せた人物が現れる。それは意外にも基であった。指導するバレエ教室で、期待されている優秀な少年の母が、学校を休んでまでスカラシップに挑む才能が息子には本当にあるのかと悩んでいる。彼女曰く、両親ともに突出した才能のない普通の人だから子どもにだけ才能があるとは思えないという。
すると基は「子どもはDNAの奴隷ではない」と発言し、自分で自分の言葉に驚いたように目を見開く。人一倍、DNAにこだわって自分の精子から妻でもない女性の子宮を借りて子どもを作ろうとしているのに。 科学技術の発展によって、子どもが喉から手が出るほどほしいができない夫婦や、子を持ちたい同性カップルや、性行為はしたくないが子どもがほしい人など、さまざまな欲望を実現することは悪いことではない。だが、そこには貧困ビジネスをはじめとした、行き場のない弱者たちをビジネスの対象にしている現状もあることを認識しないとならないだろう。
登場人物の言動のえげつなさを描きながら、根底には社会への厳しいまなざしがある『燕は戻ってこない』。ワーキングプアだとか妊活だとかジェンダーだとかキーワードをわかったようになぞるだけでない、想像もしえなかった生活者の存在を渾身で浮き上がらせる。
木俣 冬 :コラムニスト