「自分史を書きたいが、書き出しでつまずく…」→「英国の大歴史家」の執筆方法が納得感しかない!
ためしに、夏目漱石の『草枕』をみると「山路を登りながら、こう考えた」で始まる。 ついで、すぐ有名な「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」が続く。もちろん、第一人称は出てこない。 第2章のはじめを見ると「『おい』と声を掛けたが返事がない」から始まっている。 声を掛けたのは“わたくし”だが、そうは書かない。それからずっと主人公の動きがのべられているのだが、主語はかくれて外にあらわれない。何ページも先になって、ようやくにして“余は”が出てくるのである。 こういうことばを使い、こういう文体で文章を書いていると、自分のことを中心にしてものを書くのは不便である。日本で私小説というジャンルが、ほかの国よりも発達したのは、ひょっとすると、素面では書けないから小説の虚構をかりて自己を物語るのが好まれたのではなかろうか。 ● 自作の詩歌を集めれば 立派な自分史になる そういえば、短歌や俳句にも、“わたくし”ということばは出てこないけれども、たいていは自分の思いをのべる。あるいは、ものに託し、花鳥風月をかりて、自分を表現する。 このごろ、停年で勤めをやめた人が、記念に歌集をつくる。句集をつくる人はもっと多いようである。知友に配る。ほとんど第三者の読者はないが、出す人には何とも言えない誇らしい自己表現の晴れ場である。すくなからぬ費用を喜々として出すから、こういう自費出版を引き受ける出版社がふえてきているようである。 ひとつひとつの歌や句は、そのときどきの気持をうたったものであるが、長い間にわたって作られた作品を集めれば、作者の精神史を反映するものであるのはたしかである。こういう記念句集、歌集は、その名はついていないが、りっぱな自分史である。
あからさまに自らを語るのは面映いが、作品を通してなら抵抗はすくない。 胃を切ると決めて霜月雨多し これはある企業の幹部だった人が引退に当って上梓した句集の一句である。同じことを散文で書くとすれば、ちがった感じのものになるのは当り前だが、これほどまでに読むものの心を打つものになったかどうかは疑問である。いくらか間接的な表現だからこそ、かえって人の心を打つのである。 同じ句集にある、 めおとならむ離れて寒く砂利握るは という一句も、かなり前に読んだのだが、いまもって忘れることがない。それによって会ったこともない故人の人となりをしのぶよすがにしている。短詩型文学というのは後々も忘れられないという点で、ちょっと類がないように思われる。 ● 誰しも気づかぬうちに 自分史を作って生きている 考えてみれば、何も歌や句だけではない。長い間、書いたり、つくったりしたものは、どれも過去の自分をあらわすもので、それを集めれば、りっぱな自分史である。回顧文集というものが実際にはいくらも出ている。 全集を見ると、その人が出した手紙がのっている。もちろん全部ではないが、それによって、その人となりが実によくわかる。文学の研究者が、書簡に注目するのは、手紙が人をよくあらわすからである。 ただ一般では、もらった手紙は、保存することができるが、出した手紙を再び手もとへとり戻すことはほとんど不可能である。だいいち、だれに出したかも忘れている。 しかし、もし、出した手紙を回収することができれば、そしてそれを編集することが可能ならば、それだけで、またとない自分史になる。ひとに出した手紙を返してもらうことはできないが、出す前にコピーしておくことはできる。 そうという改まったタイトルで書いたものでなくとも、おのずから、自分史となっているものが、ほかにも、たくさんある。われわれのすることなすことは、そのまま、すべて自分史の材料でないものはない。 このように考えると、われわれは、だれしも、それと気づかずに、自分史をつくって生きていることに気づくのである。 “わたくし”にいくらかはにかみを感じることの多い人間にも、この名のない、間接的自分史ならたくさんある。
外山滋比古