阪神・淡路大震災から29年 今後の課題は「孤立した集落をどう防災するか」
さまざまな経験を重ね、自治体や国の対応が早くできるようになった
佐々木)いまのように「プッシュ型支援」もありませんからね。何をどうしていいかわからず呆然となり、取り残されている人もたくさんいました。そのあと東日本大震災、中越地震、熊本地震などがあり、さまざまな地震が起きて、自衛隊や消防・警察がいろいろと動いた。ボランティアも経験を重ね、自治体や国のあらゆる対応が行われ、ようやくここまできたのです。 飯田)さまざまな経験を積み重ねて。 佐々木)能登半島地震での対応や体制に関しては、阪神・淡路大震災などの大変な犠牲があり、さまざまな教訓や反省の上に成り立っているのだと思います。今回も批判はいろいろありますが、政府や石川県の対策本部が立ち上がるのはとても早かった。自衛隊の出動も、瞬時に戦闘機が飛んで上空から偵察していました。それは、この30年近くのさまざまな蓄積があったからこそだと思います。
災害時の「情報の途絶」は解消されてきた
飯田)30年経ち、人口構成も変化しています。今回の能登半島地震は高齢化率の高い地域で起きたので、避難所での感染症の影響など、当時とは違う部分があるわけです。 佐々木)通信に関しても違います。阪神・淡路大震災のときは、まだインターネットを使っている人もわずかで、携帯電話さえほとんど普及していなかった。実際、インターネットや携帯電話を防災や復興に使うなどという発想はまったくありませんでした。ほぼ公衆電話のみです。 飯田)東日本大震災では電波が途絶えて、携帯電話が上手く機能しなかった。 佐々木)東日本大震災のときはインターネットが普及しており、携帯もそろそろスマホに代わるぐらいの感じでしたが、一方で基地局の非常電源が切れてしまい、携帯がつながらなくなった。でも、なぜかツイッターだけはつながっていて、みんなツイッターで情報収集したり、情報を公開していました。 飯田)そうでしたね。 佐々木)今回に関して言うと、基地局が非常電源になって徐々に持たなくなるのは同じだけれど、船で基地局そのものを持ち込んだり、ソフトバンクがドローンを飛ばして空中に浮遊させ、サービスエリアを構築しました。最終的には、イーロン・マスクがつくっている……。 飯田)スターリンク。 佐々木)KDDIと協力し、無償提供しました。あれは電源があるところなら、どこでも必ずつながりますから。そういう意味でも、情報の途絶は解消してきていると思います。我々は少しずつ時間を掛けて、防災に対する価値観も準備も、いろいろなところで備えてきている感じがします。
孤立した小さな山間の集落をどう防災するのか
佐々木)一方で、限界集落のような「孤絶した集落をどこまで維持するのか」という議論も巻き起こっています。この段階で言うべき話ではないと思いますが、長い目で見ると、「孤立した小さな山間の集落でどう防災を考えるか」は大事です。地方財政が非常に厳しく、インフラに回せる予算が以前と比べて半分ぐらいに減ってしまっているような状況で、どうするのか……。重要な問題ですよね。 飯田)落ち着いたところで、これも議論しなければいけないですね。