人が痛みに向き合う強さを、技術と芸術の融合で観客に語り掛ける「一月の声に歓びを刻め」
「No, the pleasure is mine!(いや、うれしいのは私の方だよ!)」 【動画】その〝声〟は届く「一月の声に歓びを刻め」予告編 彼がにっこりとほほ笑みながら握手を求めてきた。思わず「やった!」と声を上げたくなる気持ちを落ち着かせ、彼の手を握った筆者。とても優しい顔をした白人の中年男性は、筆者の肩を軽くたたきながら話を続けた。 「May you can make today's story into a film later. With a title like “A Long Drive Cowboy”.(今日の話が映画化されますように。タイトルは『A Long Drive Cowboy』だね)」 そういう話をするのは当然かもしれない。あの夏の日、彼に会うために米ミズーリ州のブーン郡からウィスコンシン州のマディソン市までおよそ450マイル、つまり700何十キロを運転していったのだから。休まず運転しても約8時間はかかる。宿泊費が出せるような暮らし向きではなかったため、眠くなったら適当なところに駐車して仮眠し、1990年型フォードF150ピックアップトラックのガソリンをいっぱいに満たした。黒い髪の毛に黒い目だが、カウボーイブーツにブーツカットのジーンズ、ウエスタンチェックのシャツを着ていた筆者の姿が印象的だったようだ。 もちろん、筆者にもそこまでしてでも彼に会う理由は十分にあった。チャイニーズレストランでのホールサービングや皿洗い、スポーツバーの掃除まで終えてから夜明けに旅に出るぎりぎりの日程を甘受してでも「アメリカのアンドレㆍバザン(映画監督のデイミアンㆍチャゼルの表現によると)」の映画理論講義を聞き、あいさつができれば十分なやりがいがあったと言えるだろう。
三島有紀子監督が思い出させる、映画理論家デビッド・ボードウェルの研究
ウィスコンシン大学マディソン校の教授で、映画理論家のデビッドㆍボードウェル。筆者が訪ねる1年前、彼が妻のクリスティンㆍトンプソンとの共著で出版した「Film History: An Introduction」は、すでに世界の映画学徒の必読書になっていた。ニューヨーク大学ティッシュ芸術学部のマーティンㆍスコセッシ映画学科の学科長デーナㆍポランが発表した追悼文を読みながら、ドラマチックだった彼との対面を思い出した。2024年2月29日、76歳で逝去。怖いもの知らずの青春だった筆者もいつの間にか50代を迎えようとしている。彼の記憶を思い出したのは、亡くなる数日前まで侯孝賢(ホウㆍシャオシェン)についての文を書いていた当代の映画理論家をたたえるためだけではない。20年の全州国際映画祭のプログラムアドバイザーとして「Red」の作品を招待したことで出会い、いつのまにか「映画的同志」になった三島有紀子が、彼の逝去の約3週間前にちょうど彼の研究を思い出させる新作「一月の声に歓びを刻め」を公開したためだ。 ボードウェルは自分の研究の方向を次の三つの領域に区分している。①映画形式(特に敍事)の歴史と創造的源泉 ②映画技法。すなわちスタイルの歴史と創造的源泉 ③映画に反応する観客の活動を支配する原則。この三つの領域を統合するボードウェルのアプローチが、歴史的詩学(historical poetics)なのだ。彼の説明によると、映画の詩学はアリストテレスの「詩学」からロシア形式主義(Russian formalism)に至る文学批評およびハインリヒㆍべルフリンとエルンストㆍゴンブリッチなどの美術史研究が追求した関心事と同様に、芸術作品としての映画を構成、その映画の美的効果を生み出すのに関与する材料と技巧に注目した。これは材料と技巧の間の相互作用を支配する原則に対する質問につながるが、原則は特定の経験的状況で出現し変化するため、歴史的眺望も求める。 詩学と歴史が出合う地点には、規範(または規則、慣習)がある。この研究で重要な比重を占めるのが、自分の規範をスタイルと叙事で実現したカールㆍテオドアㆍドライヤー、セルゲイㆍエイゼンシュテイン、小津安二郎のような映像作家への注目だ。そのように「映像言語の規範とコンベンションを実験する監督」をアジアで発見し、最近では技術的、美学的実験を通じて従来のアジア的ミニマリズム(Asian minimalism)を越えてアバンギャルドの実験性を具現していく新しい流れに賛辞を送っていた。これまで培ってきた知名度と認知度にもかかわらず、スタイルを定義するのが難しいというほど新しい試みを繰り返している映像作家に、三島有紀子以上に的確な監督がいるだろうか。