「荒んだ心に蓋をしないと進めなかった」激動の時代と走ったSOPHIA松岡充「今世界に必要なのはどれだけ柔らかい心で包めるか。そんなのロックじゃないよというならロックじゃなくていい」
あの頃は自分を大人だと思っていなかった
――ここからのSOPHIAの活動は、すべてそういう「最初で最後」というものになっていくわけですね。 そうありたいですね。これまでメンバー5人で一緒にやってきてるので、そこに向かうんだというのはみんな理解できるはずなんですよ。それに、自分なりにそれぞれ蓋をしたものがあると思うので、そこに向き合ってほしい。 そういう関係性でいられたら、復活した意味もあると思う。僕は毎回これで最後だと思ってやっているから、もう我慢しなきゃいけないこともなくて。我慢するのって、関係性を保って長くそこにとどまりたいからじゃないですか。でも僕は別にとどまらなくてもいいし、ここで終わってもいいって今は思えるから。 ――デビュー後から20代、30代は、そうした我慢をしたり、感情に蓋をしてきたとおっしゃっていました。 自分たちを大人だと思ってなかったです。30を超えても、勝手な大人たちや社会に対するアンチテーゼや疑問をずっと変えたまま、「自分たちは大人じゃない」って言っていて。いやいや、年齢的にももう大人でしょ。今だったら、そんな自分に対して「それは無理だよ」って、もうひとりの自分がつっこむと思う。「それ、あんたがやってんだよ」って。 ――敵だと思って怒りをぶつけていた大人は、自分自身でもあったと。 そうです。今は「まさに自分だ」とわかっているけど、本当は当時からそうだったんです。
相手を思えば自分の苦しみから解放される
――松岡さんはずっと、そういう大人や社会に対する怒りの中で、生きるとは、人間とは、っていうことに向き合ってきたと思うんですが、30年間活動してきて、一定の答えが出たと言えるものはありますか? 最初に話したように、近い人との別れや死を経験して、すべてのことが当たり前じゃないと知る中でちょっとずつ、「あ、こういうことだったのかな」って思えたことがあって。「絶対、嘘だよ」って思っていたようなことも、僕の正解が誰かにとっての正解ではないとわかったんですよね。 「なんでだよ」って怒りを感じていたことも、こういう理由があったのかもしれないって思うことで、自分の負担が減って。思いやりを持てるようになった時に、実は自分の苦しみからも解放されるっていうことに気付きましたね。 結局、「自分、自分」だったから、そこに落ちてしまった。そうじゃなくて、自分があるのは誰かのおかげなんだ、誰かの幸せがあるから自分が幸せなんだって、近い人の生と死に向き合うことで気付き始めてからは、自分も救われていったんですよね。 ――そうなると、作る曲や表現も、包み込むというか、相手を肯定した上で伝えるという表現に変わってくるのかなと。まさに「あなたが毎日直面している 世界の憂鬱」もそうですよね。 今、この世界に必要なのは、相手の毛羽立った感情をどれだけ柔らかい心で包めるかっていうことだと思う。そんなのロックじゃないよって言う人がいるんだったら、ロックじゃなくていい。僕はそんなファッション・ロックはいらないです。誰かとつながってしか生きていけない僕らにとって、その摩擦を少しでもやわらげるものが僕らの歌にあるのなら、僕はそのほうがうれしいし、そうありたいです。