「出会った頃は腰が低い方だった」 “豹変”したPR会社社長 親族は「いつか痛い目に遭うと思っていた」【斎藤知事の公選法違反疑惑】
とどまることを知らない“自分語り”
これでもか、これでもかと輝かしい日々の様子を投稿しているわけだが、ネット上の華やかな“自分語り”はとどまるところを知らない。 折田氏のPR会社が運営するホームぺージやSNS、そして読者モデルを務めてもいる女性誌「MORE」のインタビュー記事などを見ると、おおむね以下の経歴を列記しているのだ。 生まれは兵庫県西宮市で、高校はフランスのトゥレーヌ甲南学園。慶應義塾大学SFCに在学中、再び渡仏してESSEC大学へ留学。新卒でパリに本店を持つBNPパリバ銀行の東京支店に3年ほど勤務後、地元へUターン。母親が経営する婚活サロンで主にSNSなどの広報業務を担い、2017年、25歳の時に現在のPR会社を起業といったストーリーである。 華麗なる経歴の中でも目を引くのは、学生時代に2度の渡仏、就職先も世界規模で展開するフランスの投資銀行を選んだことだ。
「出会った頃は腰が低い方だった」
折田氏の高校時代の恩師に話を聞くと、 「あちらの高校は全寮制で、関西地方を中心に日本中から留学生が集まってきましたが、彼女は非常にマジメで頑張り屋さん。成績もかなり良い方だったと記憶しています。和太鼓部の副部長として、毎年開催するチャリティーコンサートの大変な練習にも人一倍励む。何事にも一生懸命な生徒でしたよ」 折田氏と地域再生のプロジェクトに携わったという人物は、こう指摘する。 「今は結婚して旦那さんも同じ会社で働いているようですが、私が出会った頃の折田さんは独身で20代だった。スタートアップで起こしたばかりの会社のお嬢さん、というような感じで今ほど手広くはやっていなかったと思います。フランス留学、慶應、外資の銀行という経歴を考えたらてんぐになってもおかしくないのに、偉そうな感じは全くなくて腰が低い方でしたよ。仕事のレスポンスも速く非常に優秀。最近のSNSの投稿とは随分と印象が違うといいますか、派手な感じの子ではなかったのですが……」 それまで優等生を地で行く印象を周囲に与えていた折田氏が、様変わりしてしまったというのである。 後編【「父親も自慢話ばかりで、偏った育て方」 斎藤知事の右腕・女性社長の親族が証言 「キラキラに見えてドロドロ」】では、折田氏の親族が明かした、彼女の“偏った”ルーツについて報じている。 「週刊新潮」2024年12月5日号 掲載
新潮社