退院の翌週に『脱力タイムズ』収録『ミヤネ屋』生出演…がんと宣告され「余命10年」でも岸博幸がすぐにテレビ復帰した理由
入院から4週間という“最短ルート”での退院
吐き気がおさまった頃から、僕の日課にリハビリルームでのトレーニングが加わった。リハビリルームには、狭いながらもウォーキングマシンやエアロバイク、最低限のウエイトトレーニングの道具などが用意されている。バイクを漕ぎ、スクワットや腹筋、ストレッチなどで、毎日1時間ほど体を動かした。 とはいえ、当然ながら、病気になる前のトレーニング通りにはいかない。何より、点滴スタンドが常に傍らにあるのだ。点滴スタンドが倒れないよう、カテーテルが抜けないよう注意しながらの運動は、やりにくいことこの上ない。ちなみに、僕がつけた点滴の最大数は9つ! “シャンデリア状態”の点滴スタンドを引きずってトレーニングに打ち込む姿は、他の人の目には奇異に映ったかもしれない。 ともあれ、こうしたトレーニングやしっかり食事を摂ったことで、僕は、主治医も驚くほどのスピードで回復した。主治医いわく、基礎体力が抜群にあったことが大きいらしい。若い頃から意味もなくずっと体を鍛えてきたが、それが初めて役に立ったようだ。 こうして僕は、8月18日、この治療では“最短ルート”となる4週間での退院を果たした。
仕事復帰、そして新たな治療が始まる
退院後、早速仕事を再開した。いくらトレーニングを続けていたとはいえ、やはり4週間も入院し、かつ抗がん剤を投与されていたとなると、体力はかなり落ちる。少し動いただけでも、すぐに息切れを起こしてしまうくらいだったけれど、それでも、退院3日後からほぼ通常モードで仕事を始め、翌週には、『全力!脱力タイムズ』(フジテレビ)の収録に参加、『情報ライブミヤネ屋』(読売テレビ)に生出演し、講演会もこなした。 退院直後はゆっくり休んだ方がいいと言われた。でも僕には、そんな気は毛頭なかった。退院してすぐに仕事を再開し、テレビにも早期に復帰したのには一応理由がある。
重病を患うと、自分の見た目が変わってしまったことに引け目を感じたり、周りに迷惑をかけるのを気にして、すぐに仕事に復帰するのを避ける人も多いらしい。 でも、今は2人に1人ががんを患う時代である。そんな遠慮をせずにむしろ積極的に早く社会復帰すべきではないだろうか。重病を患っても、見た目がハゲに変わってしまっても、気合と根性があればすぐに仕事に復帰して明るく元気にやれるんだ、と体を張って示したかったのだ。 とはいえ、退院後も当然治療は続く。仕事の量は徐々に増やしていったけれど、週1回の通院は何にも勝る最優先事項になった。2月に入院をめぐって主治医と押し問答した頃に比べれば、ずいぶん意識が変わったものだ。 9月下旬、主治医から「11月から第3弾となる治療を行いたい」と、告げられた。血液数値が予想よりも回復しておらず、まだ病気が体内に残っているとのことで、今度は、新たな注射と飲み薬を使って、血液数値の改善を目指すという。 週1回ペースで注射を打ち、毎日朝に5種類、夜に4種類もの薬を服用することになったが、薬剤が内臓に悪影響を及ぼす可能性があるため、治療開始から1週間は経過観察の必要があるとのこと。10月26日に、再び入院することになった。 ただし、今回は無菌室フロアではなく一般病棟だし、経過観察だから8月の入院に比べたら楽勝! そう思っていたが、甘かった。注射も薬も強いせいか、全身がだるく体調が優れない。それは、退院してからも変わらず続いた。 特にショックだったのは、たばこだ。ご存じの方もいるかもしれないが、僕はかなりのヘビースモーカー。世間がどんなに禁煙推しになろうとも、たばこ愛は揺らぐことなく、毎日何十本も吸い続けてきた。それは、病気が判明してからもだった。 それなのに、この治療を始めてから、たばこがおいしくなくなってしまった。男の意地(どんな意地だ!?)で吸い続けてはみたものの、数は激減してしまった。
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