「昔は紅組・白組に加えて “黒組”も(笑)」玉袋筋太郎氏が振り返る紅白今昔…ちあきなおみにはトラウマも
2024年も、残すところあと1カ月。1年の締めくくりといえば、やはり『NHK紅白歌合戦』だ。今年で75回めを迎える大晦日の風物詩だが、かつての「国民的行事」も視聴率の減少に年々悩まされ、昨年は歴代最低視聴率(第1部29.0%、第2部31.9%)を記録した。 【写真あり】「昭和はいい加減だった(笑)」と懐古する玉袋筋太郎氏 家族そろってコタツを囲み、紅白を観るのが当たり前だった昭和の時代を知らない世代も増えてきた。少年期に体験した昭和の文化を綴ったエッセイ『玉袋筋太郎の#昭和あるある』(双葉社/11月20日発売)を著したお笑いタレント・玉袋筋太郎氏に、昭和の紅白や年末の思い出を振り返ってもらった。 「俺、実はね、当時の大晦日は紅白より、『コント55号の紅白歌合戦をぶっ飛ばせ!なんてことするの!?』(日本テレビ系)とか裏番組のほうをよく観てたんですよ。紅白も観てはいたけど、そんなに全編観てたわけじゃなく、歌手によってチャンネルを変えたりね。 当時は、いまの紅白に出ているクリーンな人たちと比べたら、出演している面々がほとんどアウトな人たちが多かったですよね。具体的に誰とは言いませんけど、その歌手を応援してくださっている人、バックについている人たちが、(素性的に)大丈夫なのかな? って人たちも多かったんじゃないかな。 みんなトップ歌手なんだけど、堅気ではない人たちとつながっているような……。どこか昭和の “興行” の匂いが、昔の紅白にはありましたよね。改めて思い返すと、白組・紅組だけでなく、“黒組” もいたんだなと(笑)」 数多の名場面が生まれた昭和の紅白だが、少年・玉袋の目に焼きついたのが、あの “伝説の歌姫” だ。 「いろんなところで語られている名場面なんですけど、1977年の紅白でちあきなおみさんが歌った『夜へ急ぐ人』はすごかった。いい歌なんですけど、当時トラウマになった子供たちは多かったから。あまりに鬼気迫る歌唱に、そのときの司会の山川静夫アナウンサーも思わず『気持ち悪い歌ですね』なんて言っちゃって。あそこはもう最高のトラウマですよ」 最近の大晦日でチョイスするテレビ番組はというと、残念ながら紅白ではなくテレビ東京の『年忘れニッポンの歌』だという玉袋氏。 「以前は、年末に『PRIDE男祭り』(フジテレビ系)に出演してた時期もあったんですけど。小さいころに『紅白歌合戦をぶっ飛ばせ!』を観てた子供が、大人になって仕事をやるようになったらやっぱり紅白の裏番組でバンバンやってたっていうのが、我ながら楽しかったですね。 いまは人口ピラミッドで考えると確実に若い人が減っちゃって、紅白も盛り上がらないよね。で、俺らくらいの年代は『年忘れニッポンの歌』にみんな流れちゃう。 だから、去年の年末は俺がやってるスナックにみんなで集まって、飲みながら『年忘れ~』を観ながら、そこに出てくる懐かしい歌手だとか、俺が知る範囲のスキャンダルをしゃべったりしたら盛りあがってね。副音声としては相当上位だと思いますよ。お客さんもみんなゲラゲラ笑って、いい年越しだなと」 いまの紅白に物申したいことを問うと……。 「『年忘れ~』はチャンネルでいうと7チャンだけど、昔はNHKの1チャンを観る時間がずっと長かったんですよ。それが国民的歌手はいなくなったし、小林幸子さんや美川憲一さんの衣装対決とか、ああいう戦いもなくなっちゃって、面白くねえなってね。 一方、いまだに紅白に出ているかつての “新御三家” 郷ひろみさんや野口五郎さんは、老練なファイトスタイルに変わってきてるわけですよ。フレッシュな試合はできないけど、ちゃんとしたストロングスタイルができる人もいるから、そのへんはまだまだ見応えがあると思います。 本当に年寄りって言われてもかまわないんですけど、いまの英語で書いているグループなんて俺、読めなくて。そういう人たちばかり出てるけど、日本人って書いていても俺からすると洋楽です。 あと、いまはジャニーズも紅白に出ないし、いろいろ考えちゃいますね。NHKはあの事務所の特番までやってたわけで、最大の後援団体だったじゃないですか。そういったところも踏まえて、あそこも “黒組” になったんだなと考えながら観ると、感慨深いんじゃないですかね(笑)」 古きよき紅白に思いを馳せつつ、いまの時代ならではの視点で紅白を楽しむのも一興だ。 玉袋 筋太郎 お笑い芸人。高校卒業後、ビートたけしに弟子入りし、「玉袋筋太郎」と命名された。水道橋博士と「浅草キッド」を結成。現在は、小説家、ラジオパーソナリティーとしても活躍している。著書に、『粋な男たち』(角川新書)、『スナックの歩き方』(イースト新書Q)、『新宿スペースインベーダー 昭和少年凸凹伝』(新潮文庫)など。