入学直後「神宮の雰囲気とスケール感に圧倒された」 東大野球部の今季主将が入部を決断した早稲田との熱戦
独自の選手勧誘やアナライジングなどの地道な努力が実を結び、近年、着実に地力がアップしている東京大学野球部。とはいえ東京六大学の他校とはいまだ戦力差があり、1998年春から52季連続最下位という長いトンネルが続いている。ただ、過去3年のチームは毎年勝ち星を挙げ、敗れた試合でも僅差(きんさ)のゲームが増えている。チームの進化を見据えた今年の主将・藤田峻也(4年、岡山大安寺中等教育)は、新たなシーズンに臨むにあたり、革新的な目標を掲げた。前後編に分けてストーリーをお届けする。 【写真】岡山大安寺の1学年先輩にあたる中村。いまは阪大で野球を続けている
岡山大安寺から数少ない野球継続OB
東京六大学リーグの開幕前、藤田のインタビュー取材前日のことだった。別の取材で出向いた青山学院大学で安藤寧則監督に「明日は東大に行きます」と話すと、「藤田君によろしくと伝えてください」と思わぬメッセージを託された。「面識がおありですか?」と尋ねると、「いいえ。でも、いつも気にかけていますよ」と言う。 翌日、藤田にそのまま伝えると、「本当ですか? すごくうれしいです。安藤監督のことはもちろん存じ上げていましたし、でも、僕が一方的に知っているだけだと思っていましたので」と驚きながら笑顔を見せた。 2人はともに、岡山県立岡山大安寺高校を卒業した同窓生。世代はだいぶ離れるが、先輩・後輩の間柄になる。安藤監督が卒業したのは1996年。その後、同校は2010年に中高一貫の岡山大安寺中等教育学校に再編され、藤田はその6期生になる。 岡山県を代表する進学校なだけに、大学進学後も主要リーグで野球部に入る者は多くない。数少ない野球を続けているOBに「大学日本一チームの監督」と「東大の主将」がいるなんて、なかなかエッジの効いた高校野球部ではないか。
「強い東大」に背中を押され、突き動かされた
藤田の球歴はソフトボールからスタートしている。「小学校低学年の頃は野球(ソフトボール)と遊びに明け暮れていました」と笑う。学年が上がるにつれ「勉強6、野球4」のバランスに変わり、中学受験で岡山大安寺への入学を果たした。そこで本格的に野球を始めた。 今振り返れば、藤田の野球人生は、節々で「強い東大」に背中を押され、突き動かされてきた。 東大を志したきっかけは野球だった。中学3年生のとき「東大野球部が法政大学から勝ち点を挙げた」というニュースを耳にして興味を抱いた。2017年10月8日、エース宮台康平(元・東京ヤクルトスワローズなど)の活躍で、30季ぶりの勝ち点を挙げた試合だ。法政大から連勝での勝ち点は実に89年ぶりのことだった。 「当時は文武両道と言いながらも、やっぱりまずは勉強が第一にあって、その最高峰の場所が東大です。じゃあそこを目指そうという中で、東大に行けば野球もやれるんだというのは、一つのモチベーションになっていましたね」 岡山大安寺は強豪校とは言えないが、かつて夏の岡山大会で準優勝した実績もある。それだけに「キツい練習もありましたし、限られた時間、環境の中で、自分たちなりに本気で取り組んでいました」と藤田は言う。 中高一貫で5年以上も同じメンバーで野球をやっていたため、前後の先輩後輩を含む部員同士の絆は深くなった。藤田が「部員数も多くて強かった」という1学年上の代のチームは、レギュラー8人が3年生で、藤田が1人だけ2年生としてサードを守っていた。その先輩たちが卒業すると、藤田は内野手とピッチャーを兼ねるチームの大黒柱となった。