石原裕次郎、中村主水 描いた手描き看板職人の店が発展 個性“飛び出す”看板を作り続け半世紀「大星広告」
■創業者は手描きの「映画広告」の熟練職人 大星広告の創業は1975年。創業者は84歳の大城敏夫さん。勝也さんの父親だ。 ▽創業者・大城敏夫さん 「夢が叶えられる時代っていうのかな、何をやっても希望に満ちあふれて」 敏夫さんは20歳のときに映画広告の世界に飛び込み、手書きの看板職人として活躍。しかし時代の移り変わりとともに印刷の看板が増えはじめ、看板職人への需要が減っていくと、所帯を持ったことをきっかけに、34歳のとき、広告全般を扱う会社を起こした。 ▽創業者・大城敏夫さん 「印刷物はなくてすべて手書きですからね、あの頃は。 絵が描ける人が看板店に移ったというだけで歓迎された」 絵を描くことに関しては絶対の自信があったが、看板広告は映画の広告とは、違う世界。しかし難しい依頼も断ることはなかったそうだ。 ▽創業者・大城敏夫さん 「365日、日曜日もない。あとはもう働きっぱなし。毎日残業」 ー大星広告の50年はあっという間だった? 「それは、あっという間というか、瞬間だな。」 ーやり残したことは? 「ないですね」 ■2代目が盛り立て 創業50年へー 2代目の勝也さんは、敏夫さんが培った看板作りのノウハウを受け継ぎながら、時代の流れに合わせて大型プリンターやデザインソフトを導入し、大星広告をさらに発展させた。 ▽創業者・大城敏夫さん 「やる気があってセンスがあったんだろうね。だいぶ助かりましたよ」 父から息子へ。親子でつないできた信頼で大星広告は来年、創業50年を迎えるが、まだ通過点に過ぎないという。というのも・・・ 店主(2代目)勝也さんの息子、健人さんが、大星広告で働き始めたからだ。 ー敏夫さんのすごいところは? ▽店主の息子・大城健人さん 「おじいが描いてるとすぐ分かるのが、人の目。 おじいが描いているのは、目が生きているので。小さい頃からずっと、見てきているので、すごいと思います」 「おじいは昔、(手描きで)絵を描いていたけど、その時代の先を自分の親父がみて、プリンター導入などをやってきたと思うので、自分も未来をみて、次、みんながどう動いているのか見ないといけない。それも勉強しないといけない。そこはもう、頑張るしかない」 豊見城市のド派手な看板店を覗いてみると、半世紀にわたり時代の荒波を乗りこえてお客さんの信頼を勝ち取り、未来へ希望をふくらませる親子3代の姿があった。 【取材MEMO】 最近では、かつて大星広告で職場体験をした子どもたちが会社やお店を始め、看板を発注してくれたり、といったこともあるそうです。売上げ以上に、看板を通して地元で育った人たちとの関係が続いていることがとても嬉しいと、2代目の勝也さんは話していました。(宮城恵介)
琉球放送