自称“原色人類”ガングロギャルのその後…19歳で渋谷を離れ選んだ道「仕事も勉強も楽しかった」
平成ギャルがトレンドになっている昨今。見た目だけではなく精神性にも注目が集まり、ポジティブに自分らしさを貫くマインドが支持されているという。そうした再ブームで気になるのは、かつて渋谷センター街を賑わせていたギャルたちの今だ。10代・20代を謳歌していた彼女たちは、年齢を重ねてどのような女性になっているのだろう。 今回登場するのは、90年代に雑誌『egg』の読者モデルとして活躍した塩澤麻衣さん(42歳)。当時ガングロギャルだった彼女は、自らを「原色人類」と呼び、ガングロ×原色ファッションスタイルで注目を集めていた。 ⇒【写真】90年代当時の塩澤さん それから20年以上が経ち、塩澤さんはエステティシャン兼サロンオーナーとして美容業界で活躍しているという。彼女のリピーターも多く、数々の芸能人の御用達サロンとしても知られているようだ。そんな彼女にギャル時代から現在に至るまで話を聞いた。
女優志望からガングロギャルへ。『egg』読者モデルになるまで
塩澤さんがギャルに目覚めたのは中学生の頃。“コギャル“が世間に注目され、渋谷では黒肌がブームの兆しを見せていた。 当初は女優を目指していたという塩澤さん。劇団に入るもなかなかオーディションに受からず苦しい日々が続いていた。そんななか何気なく渋谷の街を歩いていると、肌が焼けている女の子たちの姿が目についた。 「次はギャルがくるんだなと思いましたね。学生の頃って流行ってるものに飛びつきたくなりませんか? 彼女たちをみてたら、私もすぐに日焼けしたくなって!女優になるなら焼いてはいけなかったので、自分はギャルになるんだって覚悟を決めました」 それが転機となった。高校生となり渋谷に通う頻度が増えると、すぐに雑誌『egg』の編集部から声をかけられた。場所はもちろん、マルキュー(SHIBUYA109)前。それをきっかけに読者モデルとして活躍するようになっていく。 「他の子たちとファッションが被らないように原色の服を着るように意識しました。それで自分のことを『原色人類』と呼ぶようにしたりして。どうしたら自分の個性を出せるかなってよく考えてました」 個性的なモデルたちの中で埋もれてしまわないように、ギャルとしての自分をブランディングしていった。しかし時にはギャルコミュニティの中でこんな気を使う場面もあったという。 「当時のギャルの世界では、中途半端なギャルだといじめられることもあったし、あまり目立ちすぎると妬まれることもあったんです。そういう環境にいたので、周囲に合わせるコミュニケーション術を学びましたね。その場をうまく乗り切る能力が鍛えられました。それは社会人になってからも活かされてると思います」 そんな渋谷の女の子たちとうまく付き合いながらも、ギャルとしての自分に磨きをかけた。日焼けサロンで焼き続けた肌は、いつのまにか夜道を歩くと同化して見えなくなってしまうほどに。次第にガングロ化していく姿を横目で見ていた親からは「一緒に電車に乗りたくない……」と言われたこともあったそう。 自分流のスタイルを築いてきた塩澤さん。異性の目を気にすることはあったのだろうか。 「気にしてましたよ!ただそれで自分の見た目を変えたことはなかったかな。むしろ彼をかっこよくしたいタイプで。あの頃は派手な人が好きだったので、彼にも日サロに行かせてギャル男に変身させたりしてました(笑)」