教義は“都合よく解釈”できるように作られている… 信者がつい陥ってしまう“単純な思考回路”
認知的不協和を解消するシステム
グレーさんは、人は信じたいものを信じているだけ、というのはどんな宗教の信者でも同じではないかと語る。じぶんなりの判断で論理的に説明されていると感じたら、それを信じてしまう。 エホバの証人の内部で、背教的なウェブサイトに気をつけましょうと注意喚起されていて、そういうものを見ないように身を守っていた。少しずつ、この教団はおかしいと思うことが出てきても、じぶんが信じるものがまちがいであってほしくないと考え、じぶんでじぶんの疑惑を揉み消していた。 ちざわりんさんは語る。 【ちざわりん エホバの証人では、信者に認知的不協和が起きても、解消できるメカニズムが働くようになっています。教義が、ちょっとした矛盾に強く、都合よく解釈できるように作られているからです。教団が世の中で批判されていても、「終わりの日が近いのだから、正しいじぶんたちが迫害されるのは当然だ」などと言って、正当化して誤魔化すことができます。実際、安倍元首相の銃撃事件以降に宗教2世問題が騒がれるようになって、エホバの証人への批判が高まりましたから、信者たちは「終わりの日」について期待しながら語っています。】 はるかさんは、神さまが創造した段階から人間が罪を犯して遠くに離れたのだから、罪を埋めあわせる「蕩滅(とうめつ)」をしなければならないという統一教会の教義を信じていた。教義に矛盾を感じることがあっても、じぶんだって昨日と今日で言ってることが違う場合がある、などと考えて、矛盾を重要視しないことにしていた。 あきこさんにも確証バイアスはあった。摂理は統一教会と似ていて、「食事をすると肉は育つけど、霊は育たない。神に関する話を聞くと、霊が育つ」と教えている。だから矛盾は神に関する話を聞くことで解消するというシステムだった。ヒエラルキーが確固としているので、布教を担当する大学ごとにリーダーがいて、「とにかく相談しなさい」と指示されていた。勝手に判断するのは「NG」だった。あきこさんは「報連相だらけの宗教文化ができあがっていた」と振りかえる。 (続)
横道 誠