門倉有希さん葬儀・告別式 200人が参列、最後の別れ 「ノラ」流れ涙する参列者も
6日に乳がんのため死去した歌手の門倉有希さん(享年50)の葬儀・告別式が13日、東京都大田区の臨海斎場で営まれた。 【写真】門倉有希さんの遺影 大石まどか、岩本公水、水田竜子、おかゆら約200人が参列。喪主は夫の金田大さん。 ビクターエンタテインメントの植田勝教社長、門倉さんをスカウトして育てたプロデューサーの境弘邦さんが弔辞を述べた。 境さんは、実は門倉さんがオーディションで落ちた可能性があったが、声を気に入って無理矢理合格させたというエピソードを披露。「育てていこうと決めてからは、ずっとうるさいだろうけど、福島から出てきた有希を公私共に親代わりとして厳しくしてきました。紅白も出て『ノラ』っていうヒットも出て、30年やってきて幸せにできたのかということを昨夜ホテルで眠れず自問自答していました。それでもやはり幸せな人生だったと信じて今日はお別れしたい、楽しい人生だったと思っていきます。安らかに、さようなら」としのんだ。 弔辞が終わった後には式場に「ノラ」が流れ、弔問客のすすり泣くような声も聞かれた。 門倉さんは、演歌好きだった祖父の影響で歌手を目指すようになり、高校2年の時にレコード会社のオーディションに合格。94年に「鴎…カモメ」でデビューし、独特なハスキーボイスで人気となった。96年末には「女の漁歌」でNHK紅白歌合戦に初出場。ロングヒットとなった98年の「ノラ」は80万枚を売り上げた。 19年2月に、貧血で倒れて緊急入院した際の検査で、乳がんが発覚。放射線治療などを受けて回復し、翌3月には故郷の福島県須賀川市でコンサートを開催。活動休止するまで、治療を受けながら仕事を続けていた。門倉さん本人は「歌うことで元気になるし、腫瘍マーカーの数値も良くなる。歌うことで病気を治す」と話していたという。晩年もステージ復帰を切望し病と闘うなど、歌への愛は変わらなかった。