“腫れた指”に感じた野球生命の危機 くにゃくにゃになった関節…魔球が生まれた奇跡
右手人差し指&中指を“ストレッチ”…腫れ上がった後に生まれた変化
そんなスタートの2年目は5試合に先発、後は中継ぎ中心で起用されたが、納得いく数字を残せず、シーズンオフに牛島氏は思案した。「その年は、点を取られたら駄目とか思ったら、体が動かなくなるのを経験したので、そう思わないようにしようとかね。それとフォークボール。その時も投げてはいたんですけど、落ちなかったのでチェンジアップを代わりで使うしかなかった。だから、どうやったら落ちるのだろうとか、考えていましたね」。 フォークを投げられるように毎日、右手の中指と人差し指を広げるようなストレッチを繰り返したという。「僕は指が短いので、挟んでも圧がかかってうまく抜けなかったんです。ボールが抜けないと押し出してしまって腕が振れていなかった。だから指がもっと柔らかくならないかなってストレッチしていたら、そのうちパンパンに腫れ上がってきたんですよ。やばいと思いましたね」。野球生命に関わる怪我ではないかと不安になったそうだが、これが“奇跡”をもたらした。 「腫れがひいて、ボールを挟んでぎゅっと指を曲げると、くにゃくにゃって関節が外れるみたいになったんです。そしたら、ボールを挟んでも圧がかからなくて思いっ切りズバッと腕を振ってボールが抜けた。これでフォークが落ちるようになったんですよ。たぶんストレッチで靱帯みたいなのが伸びたと思うんですよね。腫れが引いたら痛くもなかった。ボールをポンと外したら関節も元に戻るんですよ」 こればかりは誰もが真似してできることではない。牛島氏も「他にはたぶんいないでしょうね」という。まず大怪我につながらなかったのがラッキーだったし、それでフォークが大きな武器になったのだから超ラッキーだったのではないだろうか。「このフォークがなかったら、あの時は真っ直ぐとカーブだけだったので全然通用しなかったでしょうしね。フォークが落ちるようになって、僕もこれでいけるなって思いましたから」。 こうして牛島氏は稀代のフォークボールの使い手になっていく。プロ3年目の1982年は53登板、7勝4敗17セーブ、防御率1.40と大きく飛躍して中日優勝にも貢献したが、その裏にあったのが、右手の人差し指と中指が“変化”した2年目のオフ。まさに、その時期が野球人生におけるターニングポイントにもなったようだ。
山口真司 / Shinji Yamaguchi