惨めなものですね…最近の大きな出費は1万3,000円の寝具。月収24万円の35歳契約社員が「こんなことはやっちゃ駄目」と語る〈派遣工〉の実態【ノンフィクション】
派遣工時代を振り返って…直樹さんが強く思うこと
ようやく派遣工から脱せられるが、強く思うのは「こんなことはやっちゃ駄目」ということ。まず収入がいつまで経っても安いまま。募集案内に出ているような金額はなかなか稼げない。 「収入の高い月、低い月があって年収で見たら300万円がいいところですよ。自分の場合、どこでどんな仕事をしても年収は290万円±10万円ぐらいだった。同じ仕事をしているのに安く使われている。直接雇用の期間工より100万円、正社員より150万円も低いのだから嫌になります」 金銭的な貧しさに加えて人間関係の貧しさも大きく感じたことだ。 「今回、切られて辞めることになったわけですが、一緒に働いていた人たちから労いの言葉なんてひとつもありません。正社員の人はもとより、派遣仲間も『じゃあな』でおしまいでした。ドライというか冷たいというか、人のことなんて知ったことじゃないという感じです。俺もそうですけどね」 同じ寮で暮らしていた人たちとも親しい関係にはならなかった。家族関係や家庭環境に関する話はタブーみたいなところもあって、付き合いは上っ面。2年間でまったく会話のない人もいたほどだ。 「中には変わり者というか、常識のない人もいますね。こういう奴だから50歳にもなって派遣工で転々としているんだなと思うような人も多かった」 挨拶もまともにできない人、手癖の悪い奴、ギャンブル好き、風俗好き、虚言癖のある人、派遣仲間から少額の金を借りたまま姿をくらました人、労働運動に夢中な左翼かぶれ……。全員がそうというわけではないが変わった人の出現率は高いと思う。 「派遣切りになったわけで、ふざけるなよって思いはあるけど、これでオサラバできるという安堵感もあるんです。これをいいきっかけにしたいですね」 寮付きの工場派遣をやるようになってから郷里に帰るのは正月とお盆だけ。両親、姉弟はともかく、他の親戚や地元の友人たちとはすっかり疎遠になってしまった。工場派遣をやって得たものや楽しかったことは何もない。こんな働き方をしないで暮らしていきたかった。 「派遣じゃなく直接雇用で働けるのは10年ぶり。次の目標は寮を出て自分で住まいを確保すること」 6畳のワンルームでもいいから自分で契約して家賃を払う。当たり前の暮らしを取り戻したいと願うばかりだ。 増田 明利 ルポライター