「ふてほど」でブーム再来? 日本全国の女子が聖子ちゃんカットに飛びついた理由と、当時爆売れしたアイテムとは?〈元美容誌編集長が解説〉
聖子ちゃんカットは生活スタイルにまで変化をもたらした
聖子ちゃんカットが最強なのは、ただ単にヘアスタイルが流行ったということだけではなく、そこから生活スタイルの変化やヒット商品が多く生まれたことだ。 「実は聖子カットをきれいに完成させるにはいくつかハードルがあったんですよ。でもそのハードルのおかげで、さまざまなヘア関連の商品が注目されることに。 まず、あのサイドレイヤーを後ろに流してキープするにはブローだけではうまくできなくて、けっこう大変なのです。とくに直毛の人はまず無理。 本来、あのヘアスタイルはパーマがあってこそ完成するのですが、聖子ちゃんに憧れる当時の中高生は校則でパーマをかけるのはもちろん禁止。 そこで流行ったのがブラシとドライヤーが一体化になった『くるくるドライヤー』です。 私の時代はみんな、親におねだりして買ってもらっていました。修学旅行にこっそりもっていたのも思い出です。 けれどブローでスタイルはなんとかできても、それをキープするのも至難の技。雨の日も風の日もサイドは夜まで後ろに流れててほしいんです! そこでくるくるドライヤーとセットで流行ったのが、ヘアスタイルをキープするヘアスプレーです。なかでも花王の『ケープ』はそのハードなセット力で大人気。今も夜職の方には欠かせないし、プロのヘアメイクさんにも愛用する方は多いです。 また、聖子ちゃんカットは朝起きるとつぶれているので、髪を濡らして再セットする必要があり、今では当たり前になった“朝シャン”が、これまた大流行することに。 当時の洗面台はシャワーヘッドがコードになって伸びるわけでもなかったので、朝からお風呂やシャワーを浴びたり、洗面台をびしょびしょにしてシャンプーしたりして、親と喧嘩になる子もいました。そのくらい髪型に命かけていたんですよ、当時の女子は(笑)」 確かに記者も中学・高校生時代は父親から「風呂は夜! 朝シャンなんて絶対にダメ!」と言われて、髪を水スプレーで濡らしてセットしていた……。 「80年代はアイドル全盛時代で、アイドルの髪型に憧れて、ヘアカタログや雑誌の写真を切り抜いて、美容院でオーダーするのが当たり前でした。 その後、バブル期にはワンレングスやソバージュなども流行りましたが、聖子ちゃんカットほどのブームではなかったと記憶しています。 その後、1990年代には藤原紀香さんのウルフカットがまた大ブームになりました。耳から下に思い切りレイヤーを入れて、軽く梳いたヘアスタイルは髪の毛の量の多さに悩む人から絶大な支持を受け、彼女のカットを担当していたヘアーディメンションの宮村浩気さんのもとにみんなが押し寄せたものです。 そこから『カリスマ美容師』の存在がクローズアップされ、ヘアサロンブーム時代に突入しました。このころは女性誌もヘア特集をすると、とにかくすごく売れたのを覚えています。 その後、さまざまなアイドルや女優さんが登場していますが、ある人の特定の髪型をみんながいっせいに真似するという大きなブームはこの紀香ウルフが最後だったんじゃないかな。今は、自分に似合う『似合わせヘア』を求める時代になりましたよね」 かわいいだけのブームではなく、ライフスタイルにまで及んだ聖子ちゃんカットはやはり最強、時代を超えて伝説になるのだと感じた。 取材・文/百田なつき
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