「訪問介護サービスを始めて大赤字だった3年間の後悔」内山信二 投資話も共同経営の話ものりません!
僕は介護の知識は何もなかったけれど、そこで2人が知識をつけてくれれば、という気持ちでした。ただ、やっぱり経営はそんなに甘いものじゃない。いま考えれば当たり前ですけどね。でも当時21歳だった僕にはわからなかった。本当に勢いだけ。金はある、でも介護経験も経営経験もない。そんな人間がやっていけるほど生ぬるい世界ではないです。実際ずっと赤字でした。
■「3か月でムリと気づいた」大赤字にトラブルも起こって ── 赤字の原因は?
内山さん:すべてですよね。戦略も何もなかったから。会社を立ち上げるなら、ふつうは戦略を立てるじゃないですか。正直、ちょっと天狗になっていたというのもあると思うんです。「内山くんが始めた介護」というだけ、集約を増やすアピールをしなくてもやっていけるんじゃないかって。それで地元・葛飾のおじいちゃん、おばあちゃんが喜んでくれればいいと思っていたんです。 その時点でもうダメですよね。それに、介護は横のつながりが大事で。たとえば病院や行政と何らかのつながりがないと仕事が広がらない。そういうコミュニティがいっさいなく、3人で始めて突き進んでいただけだったので、できるわけがないですよね。結局、3年で辞めましたが、決断をくだすのは遅すぎたくらい。最初の3か月で「これはムリだ、できない」と、すでに思っていたので。トラブルがたくさんあったんですよ…お金の問題やら、いろいろキツいことがありました。
── そこで学んだことは? 内山さん:いかに自分が経営に向いてないか、がわかりました。自分は芸能以外、何もできないことを当時は理解していなかったんですよね。芸能にしても、僕はやっぱりフリーじゃムリ。会社というものがあって、マネージャーさんがいて初めてできる。たとえば、ロケに行くにしても、飛行機やホテルの手配もやり方がかわからない。いろいろなサポートがあって、仕事ができていたことにそこで気づかされたというか。自分はひとりでは何もできないんだということを、多額のお金を使って知りました。