中村七之助「天守物語」「小笠原騒動」…「素晴らしい舞台を私たちが引き継いでいかなくちゃいけない」
今年も『密着!中村屋ファミリー 勘九郎の涙 七之助の宿命 姫路城で歴史が動いた!46年ぶりの衝撃SP』(フジテレビ)が放送されました。 【写真】七之助がかわいがる甥っ子・中村勘太郎&長三郎の仲良しショット 2023年、人々はようやくコロナ前の活気を取り戻し始め、歌舞伎の舞台にも観客のあふれんばかりの笑顔と歓声が帰ってきました。中村屋もその期待に応えるかのように疾走。 姫路城と小倉城、ふたつの名城を借景にした「平成中村座」では、歴史的な芸の継承や地元女子学生とのにぎやか交流が。一方、古参の門弟との突然の悲しい別れも…。そんな中村屋ファミリーの激動の一年にカメラが密着。 このたび、中村七之助さんのロングインタビューが到着。未公開分を含む、その談話を紹介します。
<中村七之助 インタビュー>
――5月の「平成中村座 姫路城公演」では、「天守物語」で富姫を演じました。 兄(中村勘九郎)だとか、いろんな方が「やったらいい」と言っていたのですが、僕の中ではおいそれと「さあ、やろう」というような演目ではありませんでした。 ただ、こういう機会はないと思い、(坂東玉三郎さんに)ご挨拶にうかがったところ、快くやっていいよと。そして、演出までしてくださるということで、もうそれだけで私にとっては宝物になるので、ありがたいことだなと思いました。 玉三郎のおじさまは、早い段階から、立ち稽古で(中村)虎之介くんと(一部の出演者で行う)抜き稽古を重ねまして。姫路に行ってからも、冗談抜きで11時間ぶっ通しで演出してたんですよね。 その間、休憩20分。30分休憩をとったんですけれども、20分でお弁当を食べ終えてすぐ舞台に行って、照明とか、もろもろ細かいことをずっと演出なさっていました。 あまりにすごすぎて、本当に化け物かと思いました(笑)。 ――終演後には、毎回天守に向かって一礼していました。 (舞台奥の大扉を開けた向こうに)天守が見えていましたので、天守に向かって「ありがとうございました」というのは、欠かさずやっておりました。 ――初日を無事に終えて、玉三郎さんから何か言葉はあったのでしょうか? 「すごい反響で良かったね」「今度会いましょう」というお言葉をいただきました。 ――昼の部が学生貸し切りとなった日はいかがでしたか? 事前アンケートにも「歌舞伎はどう観ればいいんだろう?」というのがあったので、「播州皿屋敷」に関しては、もうとてつもないことになるだろうなと思っていましたが、予想をはるかに超えていました。 いいじゃないですか。ああやって、いろんな歌舞伎のジャンルがあるということを、若い方々が観て、知ってくださるというのは。 感想アンケートも拝見しましたけれども、「案外面白かった」「案外若かった」とか、歌舞伎を、なんていうのかな、古いものというよりも見たことのない演劇というニュアンスで見てくださったのが、うれしかったな。