「学び」を楽しめれば、幸せに生きられる──為末大が、競技人生を通してたどり着いた「熟達」へのプロセス
<学びを極めようとすることで、人はもっと自由になれる…。一生学ぶ時代だからこそ、為末大が重視する「遊」から始める学習>
為末大さんは、陸上男子400メートルハードルの日本記録保持者(2024年1月現在)。3回のオリンピック出場をはじめとして、数々の大会で活躍してきました。さまざまな言説から「走る哲学者」とも呼ばれ、アスリート生活を終えてからも多彩なフィールドで活動されてきました。 ●日本だけ給料が上がらない謎…その原因をはっきり示す4つのグラフ 『熟達論』では、陸上競技を極めた為末さんが、自身の競技人生を振り返りながら「熟達のプロセス」をまとめています。人の学びのプロセスはこうして起こるのではないかという提示は、ジャンルを問わず、何かを身につけようとするすべての人の興味をそそる内容です。 今回は、為末さんに、熟達のプロセスの成り立ちや、競技人生を通しての気づき、熟達を追い求めるからこその楽しさについてお聞きしました。(※この記事は、本の要約サービス「flier(フライヤー)」からの転載です) ■競技人生を通して考えた「熟達」のプロセス ──まずは、本書を書かれたきっかけを教えていただけますか。 為末大(以下、為末) 自分の競技でやってきたことをまとめてみたいというのが一つの思いとしてありました。学ぶことや、人間がどう世界を認識するかに興味があったので、人間が学習するプロセスを『熟達論』としてまとめました。 ──『熟達論』では、熟達のプロセスを、遊びを楽しむ「遊(ゆう)」、基本を身につける「型(かた)」、型を深く観察する「観(かん)」、型の要を捉える「心(しん)」、無我の境地「空(くう)」の5段階にまとめていらっしゃいましたね。この5段階はどのように作られたのでしょうか。 為末 最初に決めたのは一番最後の「空」と、一番最初の「遊」です。遊びから入って遊びに還っていくという循環構造が、人間が何かを探究するプロセスになるのではないかと感じていました。この2つをつなぐものを考えたときに、「型」は必要になるし、技が極まっていったときの中心の感覚である「心」も入るだろうと。では「型」と「心」の間にあるものはなんだろうと考えて、最後に「観」を決めました。 ──最初が「遊」で最後が「空」と決まっていたというのは面白いですね。何かを学ぼうとすると、まず「型」を意識してしまいそうですが、最初に「遊」を置こうと思ったことには、何かきっかけがあったのでしょうか。 為末 25年間競技をやってきたなかで、同世代の選手でどういう人が生き残ってどういう人が辞めていくかを見ることになったんですよね。たとえば強豪校の選手がぷつっと引退しちゃったり、「陸上なんて別にどうでもいい」と言っていた人が長く続けていたり。 それがどうしてなのかを自分なりに考えてみると、どうも自分で何かを探索している、自己探索の感覚がある人が残っていくように思ったんです。競技人生も最後のほうになると、タイムがほとんど変わらなくなってきます。そのときに、ちょっとしたことがわかっていく喜びがよりどころになった人が、選手を続けていく。自己探索の感覚が残るのは、やっぱり最初の頃に「遊」があった人なんですね。 同じ10万回練習するのでも、単純な繰り返しになってしまうと普通は耐えられない。一回一回が小さな探索の積み重ねになっている人との差は大きいと思います。 もう一つ、「遊」が重要なのは、自分の想像の範囲を超えていけるということです。練習では自分で目標を立てて実行していきますよね。自分で考える範囲で目標を立てていると、自分の想像の範囲を出られないというループに入っていってしまいがちなんです。自分でも想像しないような動きを引き出そうと思ったら、サプライズ的な要素、つまり普段のパターンを崩すことが重要になってきます。ふとしたときに普段と違うことを組み込んでしまえる感覚がある人は、伸び止まりが小さかったように思います。こうした不規則さや面白さから始まる感覚を、「遊」に含めました。 ──長年競技をやっていらしたからこそ、長く続けるにはどうしたらいいかが念頭にあったんですね。たとえば、自分が何かを学ぶときや、誰かに教えようとするとき、意識的に「遊」を高めることは難しいように思うのですが、どのようなアプローチが考えられるでしょうか。 為末 一つは、アフォーダンスを意識することでしょうか。私は、「遊」を「環境に対して自分自身を適合させるためにあれこれ試すこと」としてとらえています。つまり完全に自発的に取り組むのではなくて、外部環境に影響されて探索しにいっているところがあると思うんです。 「型」は人の内部に手を突っ込んで、「こういう形なんです」とコントロールする感じがあるんですが、「遊」では周辺の環境からその人の動きを促していきます。教える側だとしたら、本人たちがついやりたくなるような外部環境の設計をどうするかを考えるとこなのかなと。 一般的にはスポーツのトレーニングのメインは「型」以降の指導なので、私が指導の現場に立ったときはあえてそこは扱わずに、子どもたちが面白がってやるにはどんな設計がいいかを考えるようなアプローチが多いです。