SNSで「特攻隊員かっこいい」…自由に受容できる今だからこそ想像したい 人間を“消耗品扱い”した戦争の実情
連載「いま、特攻を考える」 記者ノート
「特攻隊員は犬死にだったと言いたいのか。彼らがいたからこそ今の日本がある」。数年前、戦後生まれのある遺族から取材中に憤慨された。若い命を次々に犠牲にした作戦をどう思うか、と尋ねた時だ。もちろん隊員の死が無駄だったと言いたかったわけではない。説明を尽くしても、しばらく感情的なやりとりが続いた。 【写真】7機とも同様の故障が起きるとは考えられないなどと書かれている戦闘詳報 南太平洋の島々や大陸の戦場でも、補給を断たれる中で多くの兵士が戦い命を落とした。「玉砕」を命令された人もいる。国の礎になったという意味では同じ「死」のはずなのに、こうした議論の対象になることはあまりない。 栄養失調で痩せ衰えた日本兵の姿とは対照的に、飛行服に白いマフラーを巻いた特攻隊員はりんとしている。過酷な戦場からは距離を置き、静かに死と向き合った若者たちは太平洋戦争を通じても特殊だ。家族や故郷を守るためにわが身を犠牲にした隊員たちの物語には、感情を揺さぶる“力”があるように思う。 ◆ 特攻をテーマにした小説や映画に触れると、私自身も感動してしまう。同時に、後ろめたさも抱く。取材した元隊員らの顔が浮かび、自己犠牲の「美談」として受け止めようとしていないかと、自問自答してしまうからだ。 いつ出撃命令が下るか分からない時期の複雑な心境を、元隊員の男性が話してくれたことがある。 「親きょうだいを救うのは俺たちしかいないと考えた。一方で、俺が行かなくても日本はつぶれないんじゃないかとも思っていた」 彼が所属した航空隊は、「赤とんぼ」と呼ばれた練習機で特攻を命じられた。沖縄近海での米軍の警戒は強く、戦闘機でも突破は容易ではなかった。性能の劣る練習機では成功の可能性は極めて低く、自尊心を傷つけられ、抵抗した搭乗員もいたという。 ある部隊の戦闘詳報には、出撃した7機が故障を理由に戻ってきたとあり、こんな記述が残る。≪同様なる故障生起(せいき)せるとは思われず≫≪特攻精神に欠くる点ありと認めざるを得ざるは遺憾≫≪搭乗員は既に特攻出撃4~8回の者なり≫ 男性に帰還した部隊について尋ねると、「そこはね、あまりほじくってほしくないのよ」と言葉を濁した。誰もが死を受け入れることができたわけではない。当然のことだ。 ◆ こうした生身の人間を軍は「消耗品」として扱い、メディアは神格化し、国民は英雄ともてはやした。遺書や手紙、元隊員たちの手記などからは、使命感だけでなく、苦悩や恐怖や怒り、絶望、諦めといった感情がうかがえる。 戦中世代の多くが鬼籍に入り、体験者への遠慮や恐れもなく、自由に「特攻」を受容できる時代になった。映画を鑑賞して「特攻隊員かっこいい」と交流サイト(SNS)で発信する若者や、人間力を磨く目的で遺書などに触れる人たち、隊員と同じ状況に置かれたら「僕も特攻に行く」と真っすぐ答える子どもたちまでいる。 そんな今だからこそ、考え、想像し、理解するよう努力したい。隊員たちが置かれた状況や心情を。指揮官自ら「外道」と呼んだ作戦や、それを受け入れた社会の実像を。 (久知邦)