「船が出せず途中で亡くなった人もいた」本土からわずか300メートル“近くて遠い”島に『命の橋』開通 84歳島民が経験した辛い経験
東北放送
宮城県女川町にとって40年来の悲願だった離島・出島(いずしま)と本土を結ぶ「出島大橋」が完成し、19日開通を迎えました。半世紀近くにわたる悲願が実現した橋の開通。84歳の島民は、特別な思いできょうの日を迎えました。 【写真を見る】「船が出せず途中で亡くなった人もいた」本土からわずか300メートル“近くて遠い”島に『命の橋』開通 84歳島民が経験した辛い経験 開通セレモニーは出島でも行われました。 島で生まれ育った須田勘太郎さん84歳。橋の実現に向け、1979年に設立された「出島架橋促進期成同盟会」の会長を10年以上務めてきました。 出島架橋促進期成同盟会 須田勘太郎会長: 「出島大橋はまさに島民の命を守る命の橋。45年という月日の中でやっとここまで」 女川町の離島・出島。本土との距離はわずか300メートルですが、移動手段は船しかなく「近くて遠い」関係が続きました。島民らが1979年から橋の開通を要望してきたものの実現のめどはたちませんでした。 しかし、東日本大震災の発生をきっかけに必要性が再認識され、2017年に工事が始まりました。 出島架橋促進期成同盟会 須田勘太郎会長(2017年当時): 「本当に感無量。しけの時は船が出せないのが一番のネックだから、橋が架かれば本土並みの生活ができる」 ■島民にとって「命の橋」、かつての辛い経験とは 出島大橋は島にとって「命の橋」として期待されています。須田さんは辛い経験を振り返りました。 出島架橋促進期成同盟会 須田勘太郎会長: 「病人が出た時、雨や風が強いときは船が出せず途中で亡くなった人もいたそれも解消されると思う。(町の中心部まで)15分ほどで行けることは、大変幸せなこと」 出島大橋は、女川原発で重大事故が起きた際には避難路としても大きな役割を果たすことになります。 震災前、およそ500人だった島の人口は、津波被害や小中学校の閉校などで11月末現在90人にまで減少しています。橋の開通は、交流人口の拡大など観光面でも大きな期待が寄せられています。
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