イルカさん「松尾芭蕉のように1カ月くらいあっちに行ったりこっちに行ったりしたい」【死ぬまでにやりたいこれだけのこと】
手描きの着物を着て国際会議に出て行く
着物のことももう少しやりたいですね。 京都にはこれまで約10年間、手描きの着物を作るためにウイークリーマンションを借りて通っています。夫の親戚には呉服屋さんをやってる人が多いんです。着物を着る人が少なくなっているから、呉服の世界を盛り上げるのに力を貸してくれないか、絵本を描いているから着物も描かないかと言われて。 最初はそんなことできないと断ったけど、帯ならできるかなと思って引き受けて、「まあるいいのち」という絵本の表紙の絵を帯に描いてみました。そしたら面白くなって、次に着物もやってみようかなとなって。それからやめられなくなっちゃった。 花粉症なので、毎年春先はコンサートを休みます。そのうちの1、2週間は着物を全部手染め・手描きでやっている工房のご夫婦のところに通い、無理くり教えていただいて。着物は設計図が本当に大変です。まず設計図を作って柄合わせをして地染めして、そこから手で描いていく。私の場合、一つ作るのに2カ月くらいかかる。それを着ることができるのが楽しいですね。 なぜ、続けたいかというと、国際自然保護連合(IUCN)の親善大使を20年続けていることがあります。4年に一度1万人くらい集まる世界自然保護会議が各国持ち回りで行われる。その時に親善大使として着物を着て出て行くとみなさんがものすごく関心を持ってくれるんです。 私が描く着物のテーマは「生物多様性」と「レッドリスト」の生き物。一番最初に描いたのが、絶滅危惧種のトキとジュゴンです。着物を着ていると人が寄ってきて「これは何ですか」と話題になります。「トキです。トキって少なくなっているんですよ」なんて会話をしていると話がはずむ。 そして、「私はイルカという名前です」というと、会議でいがみ合っていた人の顔がパッと明るくなる。「オー、ドルフィン!」と心を開いてくれる。会議がなごやかに進んだって言ってもらえた時はよかったと思いました。IUCNの会議には「レッドリスト」の生き物、「生物多様性」を表した看板として、いつも着ていくようにしています。 今、「あいのたね♥まこう!」というバッジをつけています。これは私の晩年の仕事です。1年くらい前から頭の中に「あいのたね、まこう」という言葉が何度も何度も浮かんでくるから、これは伝えた方がいいと思うようになりました。 なぜ、この言葉が湧いてきたのか。それは世の中が逆行しているからです。災害、戦争、ウイルスに環境汚染。そういうもので人々の心がすさんで憎しみあったりするわけです。そこから生まれた憎しみの心、種は子供たちに植えつけちゃいけないと思う。でも、それは私一人の力ではどうにもならない。憎しみあって争っている人に「やめなさい」といっても人間の性としては難しいこともわかります。 だけど、いつか憎しみの心が少しずつでも解け合ってお互いに「そうだよね」と愛の心に変わることを信じなければ、子供たちはこれから生きていけないでしょ。そのために憎しみの心に攻撃するんじゃなくて、みんなが愛で包めば、もしかするとすさんだ心が愛に傾いてくれるかもしれないと期待しているんです。 このバッジはお嫁ちゃんが紙を切り、孫たちも手伝って息子がガチャンとやる。缶バッジを作るキットを買って家族で1個ずつ作っています。これまで300個は作りました。9月からのイルカのコンサートには「あいのたね♥まこう!」というタイトルをつけています。せっかくだから、この機会に曲も作りました。 何も言わないでコンサート会場にバッジを置いてたら、即完売。うれしいですね。500円で売っています。ファンのみなさんが共感してくれてとてもありがたいことですね。おばあさんを助けてあげようみたいな感じなのかな(笑)。 9月にはアーカイブシリーズの第9弾を出しました。80年代から90年代にかけての曲です。これはイルカの歴史です。ライナーノーツを書いていた時に、私にとってそれがどんな時代だったかを再確認することができました。夫とシュリークスとしてスタートしてからちょうど半分くらいの頃です。53年間の前半の半分は夫がすべてプロデュース、お膳立てをしてくれました。ところが、あまりに忙しくて夫が体調を崩し、私の現場にも来られない状態になって。その時から私はずっとセルフプロデュースすることになりました。そして、セルフプロデュースできることが今、私は幸せに感じています。そんな時期の3枚をみなさんにも聴いていただけたらと思っています。 (聞き手=峯田淳/日刊ゲンダイ)