「韓国人」「モンゴル人」についで「日本人」が世界で3番目に発症率が高い「胃がん」についての「驚くべき事実」
日本人はピロリ菌の種類も、遺伝子も違う
さて、同じようにピロリ菌に感染していても、胃がんになる人が多い国もあれば、少ない国もあるのはなぜでしょう。この答えは、ほぼ解明されています。一口にピロリ菌と言ってもタイプがいくつかあるのです。大きく分けると東アジア型と欧米型があり、東アジア型のほうが胃がんを起こす力が強いことが明らかになっています。日本人のピロリ菌は毒性が強い東アジア型が大半で、同じアジア人で見ても、ベトナム人に感染しているピロリ菌と日本人のピロリ菌は微妙に違います。日本のピロリ菌のほうが強いのですね。 東アジア型のピロリ菌は胃の中の食道に近い部分に感染し、胃の粘膜に注射針のようなものを突き刺して、毒性のもとになる蛋白質を注入します。図7-3を見てください。蛋白質が細胞に入ると、遺伝子に変異が起きて、これが発がんにつながると考えられています。 また、ピロリ菌の感染によって複数の遺伝子にエピジェネティクス変化が起きることもわかっています。胃がんは、他のがんとくらべてエピジェネティクス変化が頻繁に発生することが知られており、胃がんの組織を調べると、がん抑制遺伝子が作用しなくなっていたり、その逆に、がん遺伝子が作用を開始していたりするのが多数見つかります。 これに対して欧米型のピロリ菌は、胃の出口周辺の十二指腸に近い部分に感染し、胃の粘膜を傷つけることはあまりありません。毒性のもとになる蛋白質をあまり持っておらず、持っていても東アジア型のピロリ菌の蛋白質とは少し違って、がんを起こす力が弱いからです。そのため胃がんの原因になりにくく、その代わりに十二指腸潰瘍を起こすと考えられています。 ピロリ菌にもいろいろあって、日本人のピロリ菌は胃がんを起こしやすいんだな、と思った人もいるかもしれませんが、まだ話に続きがあります。日本人が毒性の強い東アジア型のピロリ菌に感染しても、全員が胃がんになるわけではありません。感染者のうち、一生のあいだに胃がんを発症するのは8%で、10人に1人もいないのです。 また、これまでの調査から、十二指腸潰瘍の患者は胃がんになりにくいことも知られていました。同じ日本人で、同じ菌に感染していても、胃がんになる人とならない人がいる。このことは、感染しているピロリ菌のタイプだけでは胃がんの発症を説明できないことを意味しています。 これに関連して、2012年に驚くような報告がありました。日本人の十二指腸潰瘍の患者さんと、そうでない日本人のDNAを比較したところ、十二指腸潰瘍のなりやすさと関連する2つの遺伝子が見つかりました。 一つは、以前から胃がんとの関連が知られていた遺伝子で、この遺伝子に変異があると胃がんの発症率が半分近くまで下がります。今回の研究で、それと同時に十二指腸潰瘍の発症率が上がることがわかりました。そしてもう一つは、なんと血液型を決めるABO遺伝子でした。O型の人は、A型の人とくらべて十二指腸潰瘍に1・4倍なりやすかったのです。 血液型占いには科学的な根拠はないとされていますが、今回の研究は非常に厳密におこなわれたものです。血液型が胃がんと十二指腸潰瘍に関係するらしいことは、これまでにも指摘されていました。たとえば北欧でおこなわれた研究からは、A型の人は、O型の人より胃がんを発症しやすいという結果が得られています。まとめると、O型の人は十二指腸潰瘍を起こしやすい代わりに、胃がんになりにくいということです。 血液型を決める遺伝子は、血液の中の赤血球だけでなく、十二指腸を含む体内のさまざまな組織で作用していることがわかっています。今後、研究が進むにつれて、血液型と病気のなりやすさについて、意外な事実が明らかになるかもしれません。これは将来のお楽しみとしましょう。 この論文の研究者らは、今回確認された二つの遺伝子、すなわち、以前から知られていた遺伝子と、O型になる遺伝子を持つ人の割合を、日本人を含む11の人種で調べました。すると、案の定、十二指腸潰瘍ではなく胃がんになりやすくなる組み合わせで遺伝子を持つ人が最も多いのが日本人だったのです。胃がんの発症には、感染するピロリ菌の違いだけでなく、感染される側の遺伝子の違いも関係するということです。毒性の強いピロリ菌に感染するうえに、胃がんを発症しやすい遺伝的素因を持つ人が多いことが、日本で胃がんが多発する大きな原因と言えます。 生まれたばかりの赤ちゃんはピロリ菌に感染しておらず、感染はだいたい12歳くらいまでに起こります。また、大人になると、ピロリ菌が体に入っても感染せずに出て行ってしまうようです。日本で50歳以上にピロリ菌感染者が多いのは、水道が整備されていなかった時代に井戸水を飲んだことがおもな原因と考えられています。日本の上水道が90%以上普及したのは1980年前後のことで、実際に、この時期以降に生まれた若い世代はピロリ菌の感染率が低いのです。 昔は井戸や川の水を使うのがあたり前だったため、少し前の日本人は、おそらく一人残らずピロリ菌に感染していたでしょう。しかし、現在のように寿命が長くなかったので、胃がんで亡くなる人は多くなかったと思われます。それどころか、当時は、ピロリ菌に感染していることが日本人にとって都合が良かった可能性もあります。これには日本人の胃の形が関係しています。 図7-4は、日本人と欧米人に多い胃の形の模式図です。日本人の胃は、たいてい釣り針のように曲がった形をしています。縦に長いため逆流しにくく、出口が少し高い位置にあるので食物をしっかりためて消化できます。対照的に欧米人の胃は、すっきりした形で、胃の内容物がスムーズに腸に移動できるのが特徴です。 胃の形が異なる背景には食生活の違いがあります。日本人は炭水化物を中心に食べてきました。炭水化物は唾液と混じって胃に入ると、胃のぜん動によって砕かれ、十分に処理されてから腸に送られて、ブドウ糖になり吸収されます。そのため、この形が適しているのです。 これに対して欧米人は肉食が中心でした。蛋白質と脂肪の消化はおもに小腸が舞台なので、大量に胃酸を出して胃での処理をすみやかに終えて、食物を腸に送り出すほうが良いのです。欧米人の胃は壁が厚く、胃酸をしっかり分泌でき、食物を力強く押し出します。 さて、この日本人の胃には一つ欠点があります。食べ物が胃にとどまる時間が長いので、そのあいだずっと胃の粘膜が胃酸にさらされて、荒れやすくなるのです。しかし、このときピロリ菌が感染しているとどうなるでしょうか。ピロリ菌によって胃の粘膜に炎症が起きると、胃液や胃酸を分泌する細胞が減って胃酸が少なくなります。また、ピロリ菌は特殊な酵素を出して自分の周囲の胃酸を弱める力がありましたね。このおかげで、日本人の胃酸の量は欧米人の半分程度にとどまり、胃酸が食道に逆流して胸やけが起きる逆流性食道炎になる人もめったにいませんでした。 日本人はこうやって、長い年月にわたってピロリ菌と共生してきたのかもしれません。しかし、ピロリ菌の感染率が下がるにつれて逆流性食道炎が増えています。そして、高齢化社会においては、ピロリ菌は胃がんを招くとして、すっかり悪者になってしまいました。 さらに連載記事<「胃がん」や「大腸がん」を追い抜き、いま「日本人」のあいだで発生率が急上昇している「がんの種類」>では、日本人とがんの関係について、詳しく解説しています。
奥田 昌子(医学博士)