ファミコン版『ドラクエ2』の理不尽な謎解きを当時の子供たちはどう攻略したのか
理不尽な謎も突破する訓練されし「お子様」
そのように、未だ語り継がれる「ロンダルキアへの洞窟」を攻略したとしても、その先の「ハーゴンの神殿」内にある「邪神の像(じゃしんのぞう)」のギミックが非常に分かりづらく、ネット上の声などをうかがうと、ここで詰まったという人も多かったようです。 「邪神の像」は、海底の洞窟で手に入る屈指の重要アイテムで、ここに辿り着く前に1度、「ロンダルキアへの洞窟」へ入る際に使用しています。上述した「ハーゴンの神殿」のギミックとは、1階から2階へワープする際に、白の十字模様が刻まれた床の中央で邪神の像を使用する、というものです。 しかし、この攻略法を発見する糸口は全く存在しませんでした。床自体は分かりやすくバリアに囲まれていて十字模様なので、ギミックがあること自体はなんとなく予想がつくものの、上述したように「邪神の像」は一度使用したものであり、これを再び使うという発想には、なかなか辿り着かなかったようです。 このように、現在の基準からすると理不尽と思えるギミックは、たとえば「太陽の紋章(たいようのもんしょう)」の入手にも見られます。 「炎のほこらにある」というヒントは得られるものの、そもそも、その「炎のほこら」がどのほこらを指すのかがわかりませんでした。雑誌を欠かさず購入していたリッチな家のクラスメイトから情報が回ってきて、ほこらそのものは特定でき、加えて「やまびこのふえ」でなにかしらの紋章がその場にあるという確証が得られても、後の移植版(スマホ版)のように、落ちているアイテムの存在を示すキラキラなどはありません。しかも、入手できるのはほこらの壁の外、草むらを示すマップタイル上でした。 いま思えば鬼畜な難易度ではあります。それでも当時の子供たちは、これを入手していたのです。上述したように、子供間ネットワークに情報は流れていたようですが、ではその最初に発見した子供は、どのように「太陽の紋章」を入手していたのでしょうか。 当時の子供さんに振り返ってもらったところ、この「(街などの)壁の外側になにかがある」というギミックは、第1作『ドラゴンクエスト』にもあったもので、そこで「訓練されたお子様」なら「壁の外側を探るという発想にはわりとすぐにたどり着いたのでは」といいます。「壁にかこまれた街や城などは、とりあえずその壁に沿って外側を移動できないか、試していましたね」といい、この情報をくれた元子供さんもまた「訓練されたお子様」だったようです。 繰り返しますが、高難易度なゲームを攻略するうえで、当時の子供たちは「友達との情報交換」を重要な情報源として使用していたようです。「初めて『太陽の紋章』を見つけた時は友達に自慢したくて仕方なかった」などといった声も、ネット上には見られます。 当時『ドラクエ2』をプレイしていたあなたは、どうやってこれらの難所を突破したか、覚えているでしょうか。
マグミクス編集部