特措法巡る溝、埋まらず 環境省は見直し慎重 新潟水俣病訴訟
水俣病特別措置法の救済対象とならなかった住民が損害賠償を求めた訴訟で、新潟地裁は行政認定を受けていない原告のうち26人を新潟水俣病と認めた。 大阪、熊本に続き、特措法の認定基準に疑問を投げ掛ける形となり、見直しを迫る声が強まるが、環境省は「判決の反映は難しい」(幹部)としており、両者の溝は深い。 水俣病を巡っては、複数症状を組み合わせる公害健康被害補償法の厳格な認定基準から漏れた人を救うため、1995年に村山内閣が1人260万円の一時金などを支払う「政治決着」を実施。しかし2004年に認定基準を事実上緩和する最高裁判決が出たことを受け、未認定患者らによる訴訟が相次いだ。 09年に議員立法で成立した特措法はこうした事態に対処するため、対象となる症状を緩めた上で、1人当たり210万円の一時金を支給することで「最終解決」を目指した。これで熊本、鹿児島、新潟3県で3万8000人余りが新たに救済されたが、居住区域や年代の「線引き」から外れたり、申請期限を逃したりした人も多く、未救済の人による訴訟は今も続く。 今回の判決では、世界保健機関(WHO)などが定めた毛髪中のメチル水銀の基準を下回っても健康被害が出る可能性を認めた。同省幹部は「国際的な科学的知見を否定されたら何を基準に審査すればいいのか」と反発。「2度の政治解決を経てもなお争わないといけない」と話す。 水俣病の救済は1971年の環境庁(現環境省)発足の原点とされ、同省幹部は「被害者に寄り添うことを忘れてはならない」と強調する。ただ特措法を最終解決と掲げる立場として「仮に基準を見直しても、線引きから漏れる人は必ずいる」と指摘。政治的な解決に向けた機運も乏しい。