“売れっ子俳優”野呂佳代、激変の裏に“先輩芸人”の言葉 腐りきった暗黒時代を告白
俳優の野呂佳代が、きょう放送の日本テレビ系『1周回って知らない話 3時間SP』(後7:00~後9:54)に出演。“落ちこぼれアイドル”だったという野呂が、いかにして売れっ子俳優になったのかに着目し、師匠・秋元康やアイドル時代の仲間の証言とともに野呂の半生を振り返る。 【写真あり】「若い!!イケメン!!」父と“顔出し”2ショット公開の野呂佳代 1983年、東京・板橋区に生まれた野呂は、小学生の頃からテレビが大好きで、月9ドラマ『101回目のプロポーズ』にどハマり。いつしか自分も俳優になりたいと思うようになり、高校生になってさまざまなオーディションに応募するものの、全部落選。その後も家族の支え、母の叱咤激励を受けながらオーディションに通い続けるも、思うような結果は得られず、気付けば22歳になっていた。 そんな時、アイドルグループ・AKB48のメンバー募集の記事が目に留まる。年齢的にもこれがラストチャンス。どうしても受かりたかった野呂は、うそだらけの履歴書を提出。面接でうそがあっさりバレ、落選かと思いきや合格した。なぜうその履歴書を書いたのに合格したのか、AKB48のプロデューサー・秋元の口から真実が語られる。 2006年、AKB48のメンバーとしてデビューした野呂。夢の俳優に向けて最高のスタートを切り、モチベーションはMAXだったが、ここから野呂を腐らす出来事が続々と起こり始める。デビュー後の握手会で、5歳年下の同期・大島優子との圧倒的な人気の差を見せつけられて打ちのめされる。さらに、お笑い担当に任命され、同期の佐藤夏希と漫才コンビを結成することに。戸惑いつつも劇場の幕間で漫才を披露する日々を送った。モヤモヤした気持ちのまま漫才をしていた野呂だが、そこにはある狙いがあったという。 2009年、AKB48は初のシングル売上1位を獲得するなど世間が大注目するアイドルグループに急成長。それに乗じて野呂のモチベーションも上がっていくはずだったが、逆に奈落の底に突き落とされる出来事が。勢いのあるAKB48から、新しいグループ・SDN48に移籍をすることに。SDN48ではキャプテンを任されたものの、幾度も選抜漏れした野呂は完全にふてくされ、仕事に対するやる気を失ってしまう。「この時期が一番つらかった。全然活躍できないし、公演のある土曜の夜以外はずっと暇。テレビをつけたらAKBが出てるから、テレビを見れなくなっちゃった」と当時の心境を振り返る。さらに、AKB48の同期や仕事仲間が、野呂の暗黒時代を語る。 SDN48は2年半で解散し、同時に野呂の6年間のアイドル人生も幕を閉じることに。それでもなんとか芸能界にしがみつこうとする野呂だったが、もらえる仕事はダイエット番組やパチンコ営業。俳優の仕事は遠のくばかり。毎日愚痴をこぼし、完全に腐り切ってしまった。このまま芸能界から姿を消すことになってしまうのかと諦めかけていたその時、ある先輩芸人のひと言が野呂の運命を変える。