白石晃士監督の問題作『サユリ』の独自性 日本のホラー映画界において異色作となったわけ
『サユリ』の監督として白石晃士監督はベストな選択に
『ハイスコアガール』がアニメ化したことで広く知られる押切蓮介は、もともとホラー作品を多く手がけていた漫画家だ。なかでも、普通なら誰もが恐怖してしまうような霊に対して反撃し、物理的に殴りつける作風がユーモラスである。『サユリ』もまた、そんな系統の作品であり、この趣向はある意味で、ホラー作品の潮流に対するカウンターだといえるだろう。 本作の監督、白石晃士も過去に、本作のような超常的な存在に対する戦いを描いている。『貞子vs伽椰子』(2016年)は、本作に繋がるような試みがとられているし、ビデオ作品『戦慄怪奇ファイル コワすぎ!』シリーズのエピソードでは、高速に動き回るカッパを、拳によるカウンターパンチで倒そうとする、まさに人間の力が描かれていた。それを思えば、本作『サユリ』の監督として、白石監督はベストな選択だったといえるのではないか。 ただ、神木家がサユリに味わわされた理不尽な不幸への恨みは、決して爽やかなもので済まされることはない。春枝は、悪霊を祓おうと申し出てくれた祈祷師に掌底と蹴りを喰らわせ、「祓って済ませるつもりはねえ!」と叫んで追い返し、「生きとる人間の恨みこそ恐ろしいということを、思い知らせてやるんじゃ!」と、法を犯してまで“真の復讐”を遂げようとするのである。 悪霊と戦おうとする展開は、アメリカのホラー映画においては、それほど珍しいものではないが、この家庭での犯罪による怨念を、ネットリと湿度高く描くというのは、歌舞伎の演目『番町皿屋敷』ともなった怪談に代表されるように、確かに日本的な情緒を感じさせるものがある。だからこそ本作は、日本ならではの試みとなっているとも考えられるのだ。 神木一家が味わった悲劇、そしてサユリが体験した悲劇がそうであるように、現実を生きるわれわれには、人生のなかで理不尽な出来事が起き得るし、実際に耐えられないほどの事態に直面している人も少なくない。それは、しばしば生きる力を奪うことすらあるだろう。だが、則雄や春枝がそれでも絶望的な状況のなかで悲劇や脅威に対処する姿には、心を熱くさせるものがある。だからこそ本作は、人生に悩み、落ち込んだ心に届き得る可能性がある内容になっているのではないか。 また一方で、本作は日本のホラー映画において、悪霊に類するものから理不尽な目に遭って命を落とした登場人物たちの、一種の復讐戦として観ることもできるだろう。幽霊などに対してなす術がないというのが、日本のホラー映画の様式美であり、対抗できないことが怖さの源泉であるのは確かだ。しかしその趣向を持つ作品が、これまであまりにも多かったことも事実。本作の独自性がひときわ光る結果になったのは、その状況が生み出したものであると考えられるのだ。
小野寺系(k.onodera)