新紙幣発行で「諭吉ロス」続出…諭吉コスメ、諭吉せんべいはどうなる?
故郷・大分の「諭吉せんべい」の今後は?
福沢諭吉の故郷・大分県中津市には、定番のお土産「壱万円お札せんべい」があります。ほぼ1万円札大の甘いせんべいに諭吉の肖像を焼印でつけています。紙幣のデザイン変更で、諭吉せんべいはどうなるのでしょう。壱万円お札せんべいを販売している「渓月堂」の社長・田中秀雄さんに聞きました。 そもそも渓月堂は、干し柿を使った銘菓「豊の菓柿(とよのかし)」で知られる和菓子店でした。ところが、「壱万円お札せんべい」を作ったところ、「思いがけない大ヒットになり、困惑した」と田中社長は振り返り、「ほかのお菓子の売り上げに影響が出ると困るので、できるだけ売らないようにしていた」とも明かします。 「2004年の新紙幣発行のタイミングでお札せんべいはやめるつもりでした。ところが、諭吉は継続してしまった。その時、『あと20年作るなら、きちんと売っていこう』と覚悟を決めました。さすがに、2024年の刷新では肖像が変わるだろうから、そのときこそはやめようと思っていました」 そして、ついに諭吉が1万円から消えることに。壱万円お札せんべいの今後を心配する客から、「やめないでほしい」と継続を求める声が相次いだそうです。迷っていた田中社長に、同業仲間が「聖徳太子も加えて、3人並べて売ればいい」と提案。「歴代の1万円札をセットにすれば、諭吉せんべいを続ける意味がある」。田中社長は、聖徳太子と渋沢栄一をラインアップに加え、壱万円お札せんべいを継続していくと決めました。 聖徳太子、福沢諭吉、渋沢栄一の壱万円お札せんべいは間もなく、中津市の渓月堂本店に並ぶ予定です。本店のほか、大分県内の大手スーパーや百貨店などで販売するそうです。
「福沢諭吉の知名度が説明しにくくなる」
福沢諭吉が創立した慶応義塾大学の関係者にも、1万円札から福沢の姿が消えるのを惜しむ声があります。慶応大によると、福沢諭吉が肖像となった1984年に発行された「A000001A」の1号券は貨幣博物館に保存され、2号券が大学に寄贈されているそうです。2004年にも、新紙幣2号券が贈られています。 新紙幣発行に伴って福沢諭吉が1万円札から姿を消すことについて、大学新聞「慶應塾生新聞」も「福澤紙幣発行終了 約40年の活躍に幕」の見出しで伝えました。紙面では、学内で「国内外で福沢諭吉の知名度が説明しにくくなる」と残念がる声がある一方、「もうお札の時代ではない」と紙幣肖像にこだわらないという意見もあると紹介しています。 2004年の新紙幣発行の際、1万円札の福沢諭吉だけが続投となった経緯にも触れており、「当時の小泉純一郎内閣は慶應色が強く、また財務相の塩川正十郎も慶應出身。紙幣肖像の様式は財務大臣が決定権を持つ」と説明。当時の塩川財務相の強い愛塾心が影響したと、大学内でささやかれていたといいます。 慶応OBで東京都武蔵野市の公認会計士の男性(55)は、「1万円札が福沢諭吉でなくなってしまうのは残念です。キャッシュレス決済が多くなって、紙幣がなおさら貴重な存在になっているので、諭吉を2~3枚、記念にとっておくつもり」と名残惜しそうに話す一方、「帝国ホテルや三井住友銀行など数多くの企業に関わりのある実業家の渋沢栄一の紙幣なら、日本の経済を立て直してくれそう」と新紙幣に期待も寄せます。