なぜ日本の学校から「いじめ」はなくならないのか、マスコミ・専門家の分析「決定的な間違い」
学校とはどのような場所なのか、いじめはなぜ蔓延してしまうのか。学校や社会からいまだ苦しみが消えない理由とは。 【写真】じつは知らない、「低所得家庭の子ども」3人に1人が「体験ゼロ」の衝撃! いじめ研究の第一人者によるロングセラー『いじめの構造』で平易に分析される、学校でのいじめ問題の本質――。
矛盾しあう「いじめの原因論」
いじめは1980年代半ばに、いじめ自殺事件の報道ブームをきっかけにして、はじめて社会問題になった。それから現在まで、そのときどきのいじめ自殺事件をきっかけにして、周期的にいじめ報道ブームが起きてきた。忘却期にはベタ記事にもならないいじめ自殺が、マス・メディアが報道スクラムをはじめる流行時には、連日大々的に報道される。自殺した生徒の「哀れさ」をいわば御輿のご神体にして、いじめ報道祭りが繰り返されることによって、人々はいじめを「悪」として問題視するようになった。 さて、こういった「祭り」が起きると、識者と呼ばれる人たちに、マス・メディアや政府系諮問会議などで発言するチャンスがばらまかれる。彼らは流行の後には忘れられるが、あらたな報道ブームで流行が戻ってくると、あいかわらず同じ内容の発言を繰り返す。識者たちは、いじめの原因や背景として、数十年ほぼ変わらない「近ごろの青少年」についての紋切り型発言を繰り返してきた。これを、一般の人々と政策決定に関わる人々の双方が信じてしまう。 まず、これまで識者たちが世に流布してきた、いじめの原因論を列挙してみよう。 1 ゆとりのない受験競争や詰め込み教育が子どもの心をむしばんでいる。 2 勉学で「身を立てる」という目的意識が希薄化し、学校で勉強する意欲が低下し、だらだらして、授業が成立しづらくなった。 * 3 学校の過剰な管理。 4 学校秩序のゆるみ。規範意識の希薄化。 * 5 何をやっても許されるという欲望の自然主義。あるいは、青少年の「おれさま」化。個が突出して強すぎる。 6 いつも他人の目を気にして、自分でやりたいようにできない、個の脆弱化。 * 7 家族の人間関係の希薄化(あるいは愛の欠如)。 8 少子化・核家族化などによる家族の濃密化(あるいは愛の過剰)。 * 9 学校や地域社会の共同性の解体と、都市化に伴う市民社会や消費社会の論理の侵入。 10 学校や地域の共同体的しめつけと、市民社会の論理の排除。 * 11 子どもの生活のすべてを覆い尽くす、学校の過剰な重み。学校に囲い込まれた人間関係の濃密化。過剰な同質性への圧力。 12 青少年の対人関係の希薄化。 * 13 「近ごろ」の若い人は幼児化した。精神的に未熟になった。欲求不満耐性が欠如し、我慢をすることができなくなった。 14 仲間内の集団力学や強者のやりたい放題には、はいつくばって我慢するか、大人びたやり方で、顔色をうかがって、うまくたちまわる。子ども社会が大人と変わらない狡猾さにみちた「世間」と化して、「純真な子どもらしさ」が消滅した。 * 15 マス・メディアや電子ゲームの露骨な暴力描写や、嗜虐を売り物にするお笑い番組の流行(ヴァーチャルに暴力を学習したから)。 16 暴力や死が社会から隔離されて子どもの目に触れなくなったり、周囲が甘やかして暴力を体験できなくなったりしたため、「けんかのしかた」や「他者の痛み」がわからなくなった(暴力を学習していないから)。 17 親や教師や他の子どもたちから痛めつけられて、暴力を学習した(リアルに暴力を学習したから)。 * 18 「ガキ大将」によるリーダーシップや年齢階梯制(年齢によって上下の身分がある)地域集団の消滅(「ガキ大将」がいなくなったから)。 19 子ども集団に自生する非民主的な身分関係。心理操作や人心掌握にたけた攻撃的で支配的なリーダーへの追随(「ガキ大将」がいるから)。 * 20 日本の「文化」が崩壊したから。 21 日本の「文化」が残存しているから。