農的な暮らし(2)自然農の田植えで「日本の農」の原点に触れる
植えるのは幻の米「朝日」
1反弱と決して広くはないノラノコの田んぼは、近江八幡市に隣接する東近江市の田園地帯にある。東京出身の僕からすれば、白壁の古い民家や蔵が連なる周辺の農村風景は「まるで時代劇」といった趣だ。とはいえ、現代日本の標準的な郊外風景のありように漏れず、大規模な工場や高速道路も視界に入ってくる。「無農薬で昔ながらの米作りをしている」というと、世界遺産・白川郷の合掌集落や「日本の棚田百選」のようなピュアな原風景をイメージしがちだが、実際にやるとなれば当然、立地一つ取ってもリアルな部分がそれなりに入り込んでくるものだ。 さて、僕がこの地を再訪し、田植えを手伝ったのは昨年6月20日のことである。「えっ?そんな時期に?」という声が聞こえてきそうだが、その理由はノラノコで育てているのが「朝日」という現在ではほとんど作られていない品種だからだ。周辺の田んぼではゴールデンウイークごろに田植えを済ますというから、2か月近くも遅い。収穫もこれに伴って10月末に行われる。「朝日」は、もともと苗の成長が遅い。そして、品種改良を重ねた現代的な品種が、収量を上げるために成長のスピードを早めてきたことが、相乗的に田植え・収穫時期の差を生んでいる。
朝日は、現在のおいしいお米の代名詞になっているコシヒカリやササニシキのルーツになっている品種の一つで、かつては東日本の「亀の尾」に対し「西の朝日」と言われ、西日本を代表するおいしいお米だった。明治時代に京都で生まれた「京都旭」を岡山県農業試験場が改良し、大正時代に「朝日米」として確立したと言われている。ふっくらとして適度な粘りがあり、冷めても味が落ちないために寿司用の米としても重宝された。その一方で、大粒なため穂から籾(もみ)が落ちやすい、稲が倒れやすいという弱点があり、現在は岡山県でブランド米として作られているものがわずかに流通する“幻の米”だ。
味が非常に良い半面、やや育てにくいために衰退したという点では、かつてはコシヒカリと並んで米の両横綱と呼ばれたササニシキに似ている。ササニシキは、やはり倒れやすく病害に弱い面があり、1993年に産地の宮城県を襲った冷害により大規模な被害を受けたのをきっかけに、一気に生産量が減った。 生業としての「農業」ではなく、自給自足的な「農的な暮らし」を志向するノラノコでは、ブランド米というよりは、現在の代表的な品種につながる「お米の原点」としての面に価値を感じて「朝日」を選んだ。2010年から米づくりに携わるようになった亥川夫妻らが、入手した貴重な苗を育てて種籾を取り、以後、小規模とはいえこの地に「朝日」を定着させた。これを一切機械を使わずに手で植えるという共同作業が、昨年も梅雨空のもとで行われたというわけだ。