頑張りかたがわかり始めた筋トレ好きサラリーマン〔凡人伝 Vol. 2〕
凡人、と断じてしまうと、なんとも冴えないイメージだが、凡人は凡人なりに、他の凡人と比すべきところのない人生を送っている。そこの凡人とあそこの凡人の日常に、ひとつとして同じ日常はない。なかでも、積極的な身体活動がともなう凡人それぞれの体験においては、凡人のそれまで人生経験、身体的特徴が大きく影響するだけに、凡人の個性がひときわ際立つ。世に誇るべき偉業も記録も持たない凡人が身体活動を通じて脱凡する道程を〔凡人伝〕は追う。
念願のレギュラーへ
「自己分析」と「習慣化」に明け暮れた中学時代、ついにレギュラー選手になることはかないませんでしたが、諦めることなく、確実に上手くなってきたという実感はありました。それで私は、高校に進学してもバスケットを続けることに決めました。中学でバスケ部に入ったのは友達に誘われたからでしたが、高校は自分で決めました。 毎日、昼休みにバスケをして、部活が終わった後にも個人練習をしました。体育館のコートが使えないときは、雨降る校庭でも。とにかく他の人より練習し、経験を積むことを意識していたら、高校2年生の時にレギュラーに抜擢されたんですね。その時は、本当に大きな達成感がありました。
本番には悪魔が潜む
しかし、いざ本番の試合では練習の時のようにプレーできず、良い成績を収めることが出来ませんでした。緊張し過ぎて身体が思うように動かず、プレッシャーに押しつぶされるような感覚でした。今ならわかるのですが、物事を克服するためには経験を反復することが必要です。当時は克服しようとしても、なかなか「試合に出てプレーをする」という経験をさせてもらえず、最後まで「経験化」をすることが出来ませんでした。 そして監督には「実力を試合で出せない選手」という印象を持たれてしまい、その後の試合にはだんだんと出場機会を失っていってしまったのでした。
バスケットボールからの卒業
高校3年が近づくと、思うように活躍できない部活動の状況より、自分の将来が気にかかるようになりました。それで――なかば逃げるようにシフトしたのが――受験勉強です。将来の職業に総合商社でのキャリアを志向し、貿易、物流、資源開発など多岐にわたる業界で多国籍な仕事をしたいと考えるようになりました。 そのためには、まずは大学進学です。当時、私は慶應大学の商学部への入学を目標に掲げ、他の学生よりも早い段階から受験勉強に取り組みました。成績はクラスでもあまり良いとは言えませんでしたが。 しかし、慶應大学に入学するという目標に向かって、一生懸命に勉強し、最終的にはそれなりに上位の成績を収めることができました。特に英語に関しては、クラス内で最下位から2番目にまで成績を向上させることできて自信につながりました。 今振り返れば、この時の勉強への取り組みこそ、バスケットボールでの経験から得た「忍耐力」「継続力」の反映であったと感じます。 勉強が苦手な自分が積極的に勉強をする時間を作り、電車で英単語を勉強し、食事中にも勉強に取り組むなど、大嫌いな勉強へ向き合う事が出来ていました。「トレーニングの習慣化」と「勉学の習慣化」は、じつは隣り合っていたのでしょう。そのことに気付けたのは幸運でした。しかし、最終的に第一志望である慶應大学には合格できず、学習院大学経済学部経済学科に進学する道を選びました。