身体が不自由になり妻と離婚…飲酒運転で事故を起こした男性を待っていた「地獄の日々」
飲酒運転の事故が一瞬で奪っていったもの
意識を取り戻した後は、治療とリハビリを進めることになる。その頃の宮城さんは、まだ将来に対して楽観的な展望を持っていたという。だが、それが徐々に絶望へと変わっていくことになる。 「最初は、治療とリハビリをしていずれは日常に戻っていくイメージを持っていました。しかし、日が経っても良くなる兆しは見られず、段々と『一生動くようにはならないんだな』とわかってきました。 同時に、『自分は、この体のままでどうやって生きていくのだろう』という恐怖が湧き上がってきました。事故から20年近くが経った今でも、右腕は神経が繋がっていないので全く動かず、左半身が麻痺したままなので、つまり、両手とも使えない体になりました」 若気の至りというには、あまりにも大きな代償。いや、飲酒運転という重大さにしてみれば、他人を殺さなかっただけまだ良かったのかもしれない。とはいえ、彼が失ったものは運動機能だけではなかった。 「退院後、一人で生活ができないので実家に戻って親元で暮らし始め、妻・娘とは別居になりました。その中で、妻や娘のことを考えているうちに『娘が小さいうちに、妻が再婚してくれれば、娘は再婚相手のことを本当の父親だと思って育ってくれる』という結論が出て、僕から離婚を申し出ました」 愛する妻とともに、可愛い娘の成長を見守る未来。飲酒運転をするという判断は、それさえも手放さなくてはならない現実を生んだのである。
自損事故だからよかったとも言えないワケ
体の自由だけでなく、仕事や家族も失った宮城さん。こうした物理的な損失は、心の生命力も奪い去っていく。 「自信と希望も失いました。人より長けているというような自信ではなく、生きていく自信です。また、障害者として生きていくことを受け入れるのが大変でした。それまでは、障害者が社会の中でどんな生き方をしているか、どう見られるかということを考えたことがほとんどありませんでした。自分の姿を見られたくなくて、家から出なくなっていました」 また、事故に直接的に他人を巻き込むことはなく自損であっても、多くの人を巻き込むことになると宮城さんは言う。 「事故後の生活は、両親に頼らざるを得ず、高齢になってきた両親の大切な時間を奪っています。外に出れば一緒にいる知人に手伝ってもらう場面も多いです。自損であっても、こうして他人の時間を奪って他人を巻き込んでいます。本当に心苦しいです」 一度の過ちが、妻や子供、両親の将来も変えてしまう。決して、自身が報いを被るだけでは済ませられないということがよくわかる。 「飲酒運転は、本当に多くのものを失います。この現実をより多くの人に伝えたい。それが、『俺みたいになるな』と訴える活動を始めたきっかけです」 後編記事『「そのまま死ねばよかったのに」…飲酒運転で全てを失った男性が、誹謗中傷を受けても発信を続ける理由』では、当事者として飲酒運転の恐ろしさを発信することの意味、誹謗中傷を受けても発信をやめない理由について、宮城さんに語ってもらう。
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