モータースポーツ界の革命児、野田樹潤の才能を伸ばした子育てとは? 「教えたわけではなく“経験”させた」
「教えたわけではなく、“経験”させた」
――英樹さんのラスト走行となった2010年のルマン24時間耐久レースで、当時5歳だった樹潤さんから「私が後を継ぎたい」と言われたそうですが、その時はどのような思いがありましたか? 野田:別に、継いでくれなくてもいいんです。ただ、本人が強い意志を持って何かをやりたい、と自分で口にしたことはとても嬉しく思いましたね。 ――その後は英樹さんが主宰されていたNODAレーシング・アカデミーでの指導が、今に至る礎になっていると思いますが、時速200キロの世界でマシンを操るための瞬発力や持久力や筋力など、レーサーとして必要な力は当時からある程度見通しを立てて指導されてこられたのですか? 野田:いや、指導はまったくしていないです。ただ、たくさんマシンに乗せて、プロになった時に役立つようなテクニックや、パワーを操るコントロールを身につけられるように促したり、「小さい時にやっておいた方がいい」と考えられることは経験させました。私が教えたわけではなく、そういうことが身につくような経験ができる環境を与えるようにしてきました。 ――ということは、ドライビングスキルなどはほとんど実践の中で身につけてきたのですか? 野田:そうですね。英才教育的な感じで、コーチとしてそばについて、強制ギブスをつけるイメージで練習を強制したり、日々訓練、みたいなことはかけらもやっていないです。 ――経験することで、自分自身の力で壁を一つ一つ乗り越えていくことが、楽しさにもつながったのでしょうか。 野田:そうだと思います。やっぱり、楽しくないと嫌になっちゃうと思いますから。
「男性ドライバーが99パーセント」の世界で戦う難しさ
――壁にぶつかった時に、「自分の時はこうだったけど、こうしたら乗り越えられたよ」というように、ご自身の経験を伝えることもあったのですか? 野田:「ヨーロッパに行った時はこうだった」というような話や経験談を伝えたことはあります。でも、彼女があの年齢で直面してきた問題は、私が直面した問題と必ずしも一致しないし、むしろはるかに先をいっていました。だから、あくまでも一つの経験談として伝えましたし、それがプラスになったかどうかはわからないです。私自身が同じ年齢で、社会経験も少ない中で同じ問題に直面した時に乗り越えられたかと言ったら、正直、自信がないですから。 ――「男性ドライバーが99パーセントを占める」と言われるモータースポーツの世界で活躍することの壁は、特に高かったのではないでしょうか。 野田:そうですね。上のカテゴリーにいくほど、男性と一緒にレースをしなければいけない分野ですし、自動車レースって、おそらく一般の人が想像するよりも体力が必要なんです。あの苦しさの中で男性と一緒に戦うことを考えたら、大変だろうと思っていましたし、それは今も変わりません。 下の方のカテゴリーはレースの時間も短くて体にかかる負担も少ないので、過去にも女性が活躍した例はあります。ドライビングセンスや運転技術においては、女性でも優れた人はいますから。ただ、一般論として同じトレーニングを積んだ時に女性と男性の筋力差や体力差が表れてしまうので、これまでの例では上にいけばいくほど、女性はことごとく通用しなくなっていました。だから樹潤がこの先、頑張って挑戦する中でどこまで通用するのかは未知数だと常に思っています。 ――3月10日のスーパーフォーミュラの開幕戦では、他のレーサーに遜色ないタイムで31周のコースを完走したのは本当に凄いことですよね。身長170cmで細身にも見えますが、体力や筋力は男性に負けないものがあるのでしょうか? 野田:体力テストをしても、部活で頑張っている男子高校生やアスリート高校生と比べたら、パワーは全然ないと思いますよ。ただ、31周を走った後、割と涼しい顔をして車から降りてきて観客の方に手を振ったり、ファンサービスをする余裕もあったので、なんでそれができるのか、私にはわからないです。レースが終わった後、体力的に消耗して車から下りられなくなっているドライバーもいましたから。 ――幼少期からマシンに乗り続ける中で身につけてきた感覚的なことや、体力を消耗せずに車をコントロールする技術が生きているのでしょうか。 野田:そうかもしれないですね。そうでないと、あの華奢な体で過酷なレースをなぜ戦えるかという理由が見つからないですから。