ラグビー田中史朗、涙ながらに現役引退を表明「小さな体でプレー…17年間最高に幸せでした」引退後の夢は「日本代表のヘッドコーチをしたい」
ラグビー元日本代表SHでW杯3大会に出場した田中史朗(東葛)が24日、都内で会見し、涙ながらに今季限りで現役引退することを表明した。 【写真】田中史朗、元アスリートの美人妻を顔出し!夫婦ショット 黒のスーツ、青のネクタイを締め、大きく息を吐くと、ゆっくり口を開いた。「わたくし田中史朗は今季終了をもちまして、現役を引退することを決めましたので、皆様にご報告させていただきます。17年間という長い現役生活でしたが、最高に幸せでした。この小さな体でプレーできたこと、日本代表としてW杯に出て、新しい歴史を築けたことは私の誇りです」と声を震わせながら思いを述べた。 今後の活動については「NEC東葛アカデミーのコーチとして、普及活動を続けていく予定です。また、幸運なことにエディー・ジョーンズ、ジェイミー・ジョセフ、トニー・ブラウンら優秀な指導者がいるので、彼らからコーチングを学び、将来的には日本代表のヘッドコーチをしたいと思います」と夢を掲げた。 所属する東葛は今季2部で2位につけており、28日に3位の豊田自動織機との1~3位決定戦(柏の葉)が控えている。 田中は伏見工(現・京都工学院高)、京産大を経て、2007年に三洋電機(現・パナソニック、埼玉)入団。元ニュージーランド代表「オールブラックス」のSOトニー・ブラウンに見初められ、ルーキーシーズンからチャンスを得た。同年度の日本選手権優勝に輝いた。トップリーグでは新人賞のタイトルも獲得した。 日本代表は08年に初選出され、同5月のHSBCアジア5か国対抗戦で初キャップを記録した。桜ジャージーを着て、11年のニュージーランド、15年のイングランド、19年の日本開催のW杯に3度出場。15年大会では優勝経験のある強豪・南アフリカ戦に先発し、34―32で破る大金星。日本の歴史的3勝に貢献した。34歳で臨んだ19年大会では、主に控えに回り、チームを鼓舞し、日本初の8強入りを果たし、日本を新たなフェーズにけん引した。 12年にニュージーランド州代表選手権に出場。13年にはハイランダーズ(ニュージーランド)で日本人初のスーパーラグビー(SR)の選手になった。15年に前日本代表ヘッドコーチのジェイミー・ジョセフ氏の指揮の下、SRで初優勝を飾った。17年には出場機会を求めてサンウルブズでもプレーした。 19年W杯後は横浜(旧キヤノン)に在籍し、リーグワン初年度の22年からは東葛(旧NEC)でプレーしてきた。昨年12月に始まったリーグワン2部の23―24季では、レギュラーシーズン(RS)で3試合に出場。チームはRSを8勝2敗で2位に入り、28日には1~3位決定戦で、RS3位の豊田自動織機戦(柏の葉)が控えている。 ◆田中 史朗(たなか・ふみあき)1985年1月3日、京都市生まれ。39歳。伏見工、京産大を経て2007年に三洋電機(現・パナソニック、埼玉)入り。横浜(旧キヤノン)を経て21年から東葛(旧NEC)。13年~16年はハイランダーズでスーパーラグビーに参戦。日本代表は08年に初選出され、11、15、19年W杯出場。通算75キャップ。ポジションはSH。166センチ、72キロ。家族は妻と1男1女。
報知新聞社