赤ん坊のために牛乳を盗む…伝説の踊り子がパチンコ狂いのカネなし男と結婚した理由
1960年代ストリップの世界で頂点に君臨した女性がいた。やさしさと厳しさを兼ねそろえ、どこか不幸さを感じさせながらも昭和の男社会を狂気的に魅了した伝説のストリッパー、“一条さゆり”。しかし栄華を極めたあと、生活保護を受けるに至る。川口生まれの平凡な少女が送った波乱万丈な人生。その背後にはどんな時代の流れがあったのか。 【漫画】床上手な江戸・吉原の遊女たち…精力増強のために食べていた「意外なモノ」 「一条さゆり」という昭和が生んだ伝説の踊り子の生き様を記録した『踊る菩薩』(小倉孝保著)から、彼女の生涯と昭和の日本社会の“変化”を紐解いていく。 『踊る菩薩』連載第28回 『女子中学生が「ヤクザ」に「覚せい剤」を打たれて徘徊…戦争の名残が残るヤバすぎる「昭和のリアル」』より続く
踏んだり蹴ったりの日々
サンフランシスコ講和会議で日本の主権回復が決まったのは51年9月、その7ヵ月後、日本は7年ぶりに独立を果たした。戦時下の東京を描いたラジオ・ドラマ『君の名は』の放送がNHKで始まり、日本社会に少しずつ、戦争を客観視する余裕が生まれていた。 和子はほとんど中学に通わず、奉公に明け暮れた。義務教育年齢が終わり、堂々と働けるようになるのを待って、宇都宮市内のパチンコ店に住み込みで働きはじめる。親類が宇都宮にいたようだ。最初は売り場を担当していたが、カネの計算が得意でなく、景品交換担当に回された。寝泊まりしたのは店の2階だった。 勤め出してしばらくしたとき、和子は男に襲われる。逃げようとして2階から落ち、大怪我をして入院した。 母は亡くなり、継母には小遣いももらえず、いつも冷たくされた。チンピラにヒロポンを打たれ、早くから奉公に出されて、中学にさえまともに通っていない。そして働き出した途端に襲われ、負傷する。不幸が次々、和子を襲ってくる。
年上の男からの求婚
そんな彼女が、小さな幸せに触れるのは56年、19歳のときだった。同じ店で働く4歳年長の池田清二から求婚されたのだ。 池田は東京・神田の生まれ。幼くして養子に出され、里親から暴力を受けたこともある。中学を卒業し、パチンコ店で働いていた。すらっとした体格の美男子である。 和子は店に勤めて3年後、池田から、「家庭に落ち着いてほしい」と言われている。家族の温かさに飢えていた彼女は、家庭を持ちたかった。家事をしながら、夫の帰りを待つような地味な生活に憧れていた。「家庭」「落ち着いて」。こうした言葉に彼女の心は反応した。 私とのインタビューで彼女は、池田との出会いを「デパートのエレベーターガールをしていて声を掛けられた」と話している。デパートを伊勢丹としたり、松坂屋上野店としたりした。 「エレベーターガールで『いらっしゃいませ』ってやっているときに声を掛けられたんです。エレベーターガールはお客さんと口を利いてはいけないの。その後、ネクタイ売り場に回されたら、その人がまたやってきて、話をするようになった。背の高い優しそうな人やったんです」 作家の遠藤周作との対談でも、18歳でデパートに勤めたと語っている。 「新聞広告に募集が出ていて、学校へ相談に行ったら、先生が、いいんじゃないかということで試験を受けたんです」