リバー・フェニックスの死を迎える直前の姿…生前最後の撮影現場に漂っていた不穏な空気の正体
「兄が17歳のとき、こんな詩を書いていました。 "愛をもって救済へと駆けよれば、自(おの)ずと平和はついてくるだろう』というフレーズが、兄が17歳のときに書いた歌詞の中にあります"」 【写真】90年代のアイコンだった!リバー・フェニックスの貴重な写真集 このセリフは2020年の第92回アカデミー賞授賞式にて、映画『ジョーカー』で主演男優賞を受賞したホアキン・フェニックスが行ったスピーチの締めくくりです。世界にはびこる不正義に対して改善を呼びかけたあと、その打開策のステートメイト的役割として、存命であれば50歳となってこの場に来ていたくれたであろう亡き兄・リバーが残した言葉をオマージュとともに世界へ放ったのでした。 1993年10月31日に、23歳という若さで自ら人生を終えた兄の存在。リバー・フェニックスは確かに愛をもって世界を救おうとしたのかもしれません。ですが、生き急いだがゆえか、平和を追い求めるどころか自らを死の淵へと追い詰めてしまったのでしょう。
死を迎えるまでの数週間、彼が何を思って過ごしていたのか、それは謎のままです。その謎はこの先も、ずっと謎として残り続けることになるのでしょう。業界関係者の中には、ドラッグに溺れた彼のふさぎ込む姿、羽目を外して大騒ぎする姿、理性を失い破滅的になった姿を記憶している人も少なくありません。 一人のアーティストとして、リバーは未知の境地を目指していたのだと思います。例え死ぬほどの痛みと苦痛がその先に待ち受けていたとしても、「とにかく一歩でも前へと足を踏み出していくほかなかった」、ということだったのかもしれません。 ただし、常にそのような状態だったわけではないこともつけ加えておきます。ガールフレンドだったサマンサ・マシスにとっては、リバーと過ごした最後の数カ月間は、コスタリカやフロリダへの家族旅行や毎日のヴィーガン生活などの記憶に彩られた、穏かで幸せな時間でした。 そして一方でリバーは、PETA(動物の倫理的扱いを求める人々の会=People for the Ethical Treatment of Animals)の活動を世間に広く知らしめました。コスタリカの森林保護を訴える慈善活動家としても、リバーは知られた存在でした。コスタリカと言えば、ヒッピーだった両親が入信していた「神の子どもたち(Children of God)」というカルト宗教団体の宣教師として過ごした土地でもあります。 自然、祈り、魂と肉体の昇華…。リバーの最後のフォトセッションで撮影された写真からも、そのような雰囲気を感じざるを得ません。バランスとアンバランス、肉体を食い破ろうとするかのようなポーズの数々、強烈なコントラスト、そしてそのまなざし…。「目は口ほどに物を言う」という諺(ことわざ)にもあるとおり、言語では語り尽くせない明確な何かが目には宿ることもあるはずです。そこには、芸術表現の域に昇華されたむなしさと悲しみが、数日後のあの加速と崩壊を予言していたかのようなまなざしがあるようにも…。ただし、それは今だから言えることかもしれません。 これらの遺影はただ芸術の形を借りた安直なポエジーに過ぎず、リバー・フェニックス自身もまた苦悩するアーティストを装っていたに過ぎなかったのかもしれません。しかし、カメラとスターとの間に流れる緊張感の中で神話はつくり出されていくものです。 その潔癖さ、激しさ、あふれんばかりの才能、あるいは複雑にからみ合う矛盾だらけの青春の苦悩――そのような全ての象徴として、リバー・フェニックスは永遠の存在となったのです。
Source / Esquire Spain Translation / Kazuki Kimura