「身長180センチの30代女性を代理母に選び」55歳で突然、父になった山口敏太郎「近所にどう伝えるかも問題で」
■ロシア侵攻直前のウクライナで引き取り「奇跡の子」と ── 日本に帰国してから、遠くウクライナでのお子さんの成長が気がかりだったでしょう。 山口さん:まず「着床した」という連絡が来るまでが不安でした。妊娠判定がわかったのは5月5日だったんですが、ちょうどカミさんの52歳の誕生日で。「最高の誕生日プレゼントをもらった」とふたりで喜びました。結婚30年目でもありましたし。 その後も、順調に育っているという連絡が届いていました。産まれたのがわかったのは、カミさんと観劇しているときだったんです。不意にメールが入ったので何かあったのかとヒヤヒヤしましたが、無事に誕生したという報告でした。うれしかった。なんとも言えない不思議な気持ちでした。通常代理母は出産までに2、3年かかることが多いそうですが、うちの場合は最短期間の1年でできた子どもだと聞かされました。時期的にウクライナ侵攻の直前で、ロシアに攻撃されて瓦礫の山だという情報もあった。この子が産まれてきたのは、運命だったのかなと思いますね。
── そんな緊迫した状況下で太郎くんを引き取りに行かれたのですね。 山口さん:ロシアの侵攻が始まったのが2月下旬でしたが、11月下旬に、カミさんがひとりでウクライナに引き取りに行きました。ウクライナはすでに厳戒体制で、エージェントの上層部は皆ウクライナ行きを中止にしたほうがいいという意見でした。でも、カミさんと帯同していたコーディネーターがとりあえずドイツまで行こうと決めて向かったら、通常どおりウクライナ行きが飛んでいたそうで。現地での滞在も9日の予定が6日と、最短で帰ってこられたんです。その2週間後には国境に入れなくなって、3週間後には侵攻が始まりました。僕のファンからも太郎は「奇跡の子」と言われています。
■50代夫婦のもとに突然赤ちゃんがやってきて ── 奥さんはどういった状況で、太郎くんと対面したのですか? 山口さんの妻:日本の子どもは生まれたばかりのときは産着を着ていますが、ウクライナの新生児は普通の洋服を着て寝ていたので、まず驚きました。私は孫がいてもおかしくない世代なので最初は抱くのが怖かったし、抱いたらちょっと泣かれてしまって。でも、この子に母親として認められるように一生懸命頑張ろうと思いました。