未完の遺作『神々の乱心』に描かれた新興宗教 清張はどう見ていたか?
新興宗教団体の淫祠邪教性は金銭面だけなく性的な事柄にも
このような新興宗教団体の淫祠邪教性は、金銭面だけでなく、性的な事柄に関わる面においてもそうであったと、清張は捉えていた。やはり全集には未収録の「密宗律仙教」(1970年2月)では、独学で仏教関係の書物を読み耽った尾山定海(じょうかい)という男が、35歳の時に律仙教という新興宗教を立ち上げる話であるが、その教義は密教教典の『理趣教』と立川流とから取り入れたものとされている。 仏教には人間存在に対して否定的な教えが根底にはあると言えるが、『理趣教』はそれと逆に人間存在を全肯定しようとする教典であって、男女の愛欲も肯定される。だが、だからと言って、『理趣教』は男女の愛欲を単純に肯定しているわけではない。しかし定海は、それを自分に都合よく解釈して、幹部の女性信者数人と愛欲生活に耽る。また立川流も、男女の性的な結合を即身成仏の秘術とする、真言密教の一派だが、定海は立川流も自分の律仙教の教義にうまく取り込んでいるのである。
新興宗教の問題を追及していく中で気づいたこととは?
ほかにも、清張は短編小説「神の里事件」(1971年8月)においても性的な面における、新興宗教の淫祠邪教性を描いている。だから、そのような点においても清張は、新興宗教に対して批判的であったのだが、しかし新興宗教の問題を追及していく中で、清張は、近代日本において根本的に重要な問題が新興宗教に関わって存在するということに気づいていったと思われる。それは天皇制の問題である。 この問題に関しては、高木宏夫が『日本の新興宗教』(岩波新書、1959年11月)で、「天皇制はそれ自体が権力を持った新興宗教であった」と述べているように、近代天皇制の現人神(あらひとがみ)信仰は、多くの新興宗教に見られる〈生き神〉信仰と同質のものであるし、さらに天皇制も多くの新興宗教も、その生成の時期が幕末・明治以降という点でも共通している。また新興宗教が、幹部たちが教祖を〈まつりあげる〉ことで教団を維持しようとすることと、戦前日本の支配層が天皇を〈神聖不可侵〉なものにすることで自分たちの支配体制を強固に維持しようとしたこととの間には、相通じるものがあるだろう。 おそらく松本清張は、新興宗教を淫祠邪教だからといって、切って捨てるような扱いをするのではなく、新興宗教を考えていくことで近代日本の根本問題とも、あるいは謎とも言える天皇制の秘密に迫ることができるのではないか、と考えていったと推測される。清張は『象徴の設計』(1962年3月ー1963年6月)や『昭和史発掘』(1964年7月ー1971年4月)、そして本稿の冒頭で言及した『神々の乱心』などを通して、昭和に生きた一人の文学者として、その考察の照準を天皇制の問題に合わせていったのである。 (ノートルダム清心女子大学文学部・教授・綾目広治)