ダルビッシュ有の母・郁代「塾も野球も辞めたい」と言いバレーボール部に体験入部するも、再びマウンドに立ちたいと思わせた予想外の「言葉」
ダルビッシュ有の母・郁代さん。有選手は小学2年生から野球を始め、早々に実力を発揮するも、一度は野球から離れた時期があったそうです。その理由と野球再開を決意したある人の言葉とは── (全6回中の2回)。 【画像】「面影が!」膝の上に抱き抱えられた子ども時代のダルビッシュ兄弟などの貴重な家族写真(全7枚)
■サッカーをして欲しかったはずが ── 長男のダルビッシュ有さんは小学2年生から地元の少年野球チームに入ったそうですね。親として、将来はプロ野球選手になってほしいといった願望がもともとあったのでしょうか?
郁代さん:いやいや、まさか。全然思ってなかったですね。野球チームも友達に誘われて入ったくらいで、地域でやっている野球チームに入りたいと言ったから、じゃあ入ったらいいよって。本当はお父さんがサッカーをやっていたので、有にもサッカーをやらせたかったんですね。 お父さんが神戸にある外国人のサッカークラブに入っていて。自分がサッカーをするときに有を連れて行っていたので、いずれ「自分もやりたい!」って言ってくれたらいいなって思っていました。そのときわかったんですけど、有は接触ゲームが嫌いなんですね。だからサッカーには全然興味を示さなかったです。
また当時は、私たち家族と私の両親で2世帯住宅に住んでいて、有が小学1年生の頃くらいからおじいちゃんの部屋にいって、おじいちゃんと一緒にテレビで野球を観ていたんです。当時は月曜日以外はテレビでもプロ野球を放送していて、おじいちゃんから野球のルールや試合の流れを教えてもらって、そこでも興味を持っていたんですね。私も子どもは何か運動してた方がいいと思ったし、有が小さい頃から人と接することが苦手だったので、できるならチームスポーツをやって欲しいなっていうのはありました。
── その後、小学2年生から野球チームに入ったそうですが、入った当初から野球のレベルが高かったそうですね。 郁代さん:そうみたいですね。とにかく背が高いし運動神経もそれなりにありました。まあ小学生で本当にうまいかどうかわかりませんけど、まぁまぁ、普通よりは上にいけるんかぁという感じでしたね。それに運動神経が発達してると言っても、それ以上に協調性や仲間意識を学んでほしいという気持ちが強く。そこからまさかプロの世界に行くなんて、まったく思ってなかったです。
【関連記事】
- 【画像あり】「面影が!」膝の上に抱き抱えられた子ども時代のダルビッシュ兄弟などの貴重な家族写真
- 【第1回】ダルビッシュ有の母・郁代「あの子や、あの子!と指を指されて…」教室でも野球でも“ハーフ”と呼ばれ、人に気を許さなかった息子が徐々に心を開いた「1本の電話」
- 【第3回】ダルビッシュ有の母・郁代「一度だけ大泣きしました」50校近い高校からスカウトがくるも「まだギリギリ辞められるよ」と車中で話した親子の会話
- 【画像あり】ダルビッシュ聖子「寝落ち防止に深夜にアラームも」家族を支える生活「夫が力を発揮できなかったら悔しい」
- 【画像あり】見逃し三振も「よくやった!」ダルビッシュ聖子 アメリカで5人子育て「メジャーリーガーのメンタル力は幼少期から」