【ニッポンマラソンへの遺言】リディアードコーチの招聘でロード一辺倒だった指導に変化
ニュージーランドのスネルはローマと東京で3つの金メダルを取った(C)共同通信社
1960年ローマ五輪までは、日本のマラソン練習はロード中心。合宿ではウオームアップもなく「今日は20キロ、明日は30キロ、最終日は40キロ」と、ひたすら一般道を走らされていた。硬いアスファルトの上を長時間走れば、同じ筋肉ばかりに負担がかかり故障も怖い。 私がコーチ会議で...
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