だからトヨタは世界一の自動車会社になった…初代会長の「物づくりのまえに人を育てる」の深い意味
■あえてビック3とは勝負をしない 敗北を認め、トヨタの経営陣は1961年には撤退を決断した。しかし永遠に去ったわけではなかった。アメリカ市場について研究を重ね、現地の消費者の「片づいていないジョブ」を理解したあとで、トヨタはカローラを生み出した。 のちに販売台数が世界一となる車だ。トヨタはビッグ3と競争するのではなく、異なる戦略を取った。 トヨタの“販売の神様”と称された神谷正太郎は、小型車は家庭の2台目、3台目の車として重宝され、ビッグ3とまともにぶつかることはない、と当時の戦略を振り返っている。 トヨタの成功は、他の日本企業にも影響を与えた。日本最大の自動車メーカーであり、現在も世界のトップクラスを維持しているトヨタだけでなく、日産、ホンダ、三菱、スズキ、マツダ等、日本経済の形成に大きく貢献した自動車メーカーがほかにも数多く存在する。 ---------- クレイトン・M・クリステンセン(くれいとん・えむ・くりすてんせん) 経営学者 1952年、ユタ州生まれ。ブリガムヤング大学経済学部、オックスフォード大学経済学部卒業後、ハーバード・ビジネススクールで経営学修士取得。ボストン コンサルティング グループでコンサルタントを務めながらホワイトハウスのフェローとしてエリザベス・ドールの秘書も務める。その後、MITの教授らとセラミックス・プロセス・システムズ・コーポレーションを起業。92年同社を退社し、ハーバード・ビジネススクールで経営学博士号取得。 ----------
経営学者 クレイトン・M・クリステンセン