「戦争で死ぬのは、父のような下っ端じゃないか」遺族のわだかまりを解いた、元上官のある言葉とは #戦争の記憶
松倉は、けっして「犬死に」したのではない
亡き母の手紙を受け取ったのち、長男・紀昭さんは父・秀郎さんの元上官にあたる伊東孝一大隊長へ面会を申し込む。 「戦争は父のような下っ端が死んで、偉い人が生き残るものだ」 そんなわだかまりから、生き残った大隊長の話を聞いてみたいという願望があった。 面会の当日、紀昭さんの長男で筑波大学で教授を務める千昭さんも同席したいと申し出てきた。体調が芳しくない紀昭さんを心配していたからだ。 そこで、秀郎さんを戦死させたことを涙ながらに謝罪し、けっして「犬死に」したのではなく、立派な働きをしたことに誇りを持ってほしい、と語る伊東大隊長の本心に触れる。さらに、母の万感の想いがこもった手紙を大切に保管していた経緯も知った。
帰り際、横浜の駅で、紀昭さんが両の手を差し出して私たちに握手を求めてきた。 「ありがとうございました。母の手紙にもあったとおり、伊東大隊長は立派な方でした。その下で働けた父は、さぞかし幸せだったのでしょう。それを知れたことで、もうわだかまりは消えました」 目には光るものがある。 「今の私には、伊東大隊長が実の父のように感じられます。ぜひ、戦没した父の分まで、長生きされるようお伝えください」 別れを惜しむかのごとく、列車の出発の直前まで、握り締めた手を離してくれなかった。
壕内で見つかった「丸いメガネ」
この遺族にはまだエピソードがある。 紀昭さんの孫である啓佑さんは、過疎地で奉仕する総合診療医を目指し、現在は愛知県で専攻医をしている。九州地方の国立大学医学部で学んでいた19年、沖縄を訪ねてきて、国吉台地で遺骨収集に参加してくれた。 曾祖父の秀郎さんが戦死した壕などで約1週間、真っ黒に焦げた天井や壁の下の地面を掘って、遺骨を探した。 そして最終日、暗い壕内で祈りを捧げる。 「僕が曾孫だよ。命を紡いでくれてありがとう。ひいおじいちゃんのことは忘れないからね。また来るよ」 その翌年、松倉上等兵が戦没したとされる壕の監視哨口の下で、当時のものと思われるメガネを発掘した。発見したのはボランティアメンバーの高木乃梨子。啓佑さんが土にまみれて掘り進んだ窪みのすぐ脇から見つけた。 秀郎さんの写真と見比べると、出征時に掛けていたものと形や特徴がほぼ同じに見える。 戦闘時の状況や埋もれていた壕内の様子などを説明しながら、それを紀昭さんと恭子さんに見せた。 「このスタイルの丸いメガネはねぇ。当時、みんな同じような形でしたから……」 首を傾げ、苦笑いしながら手に取る。 「でもこれ、父が掛けていたのに似ているよね。どれどれ」 恭子さんが掛けてみると、その顔は秀郎さんの遺影の写真と瓜二つになった。 驚いた紀昭さんも掛けると、これも瓜二つ。見合わせた二人の顔が真顔になった。 「これは父のものだと思います。だって、写真とそっくりだもの。孫の啓佑が掘った場所の近くに、埋もれていたのですよね。もう絶対にそうでしょう。たとえ違ったとしても、父の戦友のものです。頂けるのですよね。大切にします」 その後も、互いにメガネをかけた顔を見合わせて、和やかに笑い合っている。 秀郎さんとひでさんが、奇跡を生んでくれたのかもしれない。 (終) ※『ずっと、ずっと帰りを待っていました 「沖縄戦」指揮官と遺族の往復書簡』より一部抜粋・再編集。
デイリー新潮編集部
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